Clarivate Reveals 2020 Citation Laureates – Annual List of Researchers of Nobel Class
論文の引用回数という客観的な指標から選考が始まり、医学の進歩に貢献したことが評価される賞なので、非常に名誉なことです。これは個人の賞というよりも、ユタ大学、がん研究所、東京大学医科学研究所、理化学研究所のチーム中村に対する賞だと思っています。
そして、われわれの研究に協力していただいた多数の患者さん、医療関係者、そして、恩師の故レイ・ホワイト教授に感謝申し上げます。さらに、研究を支援し続けていただいた文部科学省(文部省・科学技術庁)と関係者各位、特にライフサイエンス課関係者には、この場を借りて心よりお礼を申し上げます。
そして、いつもの口調になるが、
受賞理由は
「For pioneering research developing and applying genetic polymorphic markers and for contributions to genome-wide association studies, both heralding personalized approaches to cancer treatment」
である。
私は遺伝性疾患である家族性大腸腺腫症の原因遺伝子解明を目指して、1984年にユタ大学のハワードヒューズ医学研究所に留学した。その背景となった理由については、ここでは触れないが、その時には外科医の道を捨てる気持ちは0%だった。
ソルトレークシティーにはモルモン教会総本山があり、教徒の医学に対する協力的な気持ちに支えられて、多くの遺伝性疾患の血液が集められていた。しかし、不勉強なことに、留学後に遺伝的多型マーカーがないことを知ることとなった。これがないと一歩たりとも前に進めない環境だった。未開の土地を測量しつつ、道路を作っていくような膨大な作業を伴う研究が待ち受けていることに気づかされたが、私の性格では、それでも前に進むしかなかったのだ。
しかし、そこには、いくつかの運命的な、そして幸運な偶然と出会いがあった。まずは、留学直後に、英国のAlec Jeffreys教授がNature誌にDNA指紋マーカーを報告した。このマーカーはスコットランドヤードが個人識別として犯罪捜査にすぐに採用したが、複雑すぎて遺伝的連鎖解析には応用できなかった。
しかし、これにヒントを得てVNTRマーカーを見つけ出し、1987年にScience誌に発表した。遺伝学研究者Yusuke Nakamuraの始まりでもあった。このブログでも紹介したが、米国FBIはVNTRマーカーを個人識別マーカーに利用することになり、私はFBIから勧誘されたが、受けていれば、今頃CSI捜査官か、マフィアに打ち殺されていたかのいずれかだろう。
これで遺伝的連鎖地図を作成する基盤が作られた。そこで、多くの研究者がユタ大学のRay White研究室を訪れ、ここで知己を得た。MIT Broad研究所のEric Lander博士は経済学から遺伝学に方向を変えた直後で、この分野は初心者に近かった。現在米国NIH所長のFrancis Collins博士と初めて出会ったのもこのころだ。英国の王立がん研究所のWalter Bodmer所長やケンブリッジ大学がん研究所長を務めたBruce Ponder博士にあったのもこの頃だ。Johns Hopkins大学のBert Vogelstein博士とは共同研究の関係で電話では頻回に話をしたが、初めて会ったのは1992年であった。私の弟子たちはこれらの方々の研究室に留学している。
話を戻すと、遺伝的多型マーカーの基盤整備はできたが、全染色体の連鎖解析地図を作るには多額の予算が必要だった。幸運だったのは、評価委員会が「連鎖地図を作るのは多数の研究者、特に遺伝性疾患の研究者に貢献できる重要なことなので、年間予算を増やすので早く成果を出す」ようにと裁定したことだ。この時の委員会には2重らせんでノーベル賞を受賞したジム・ワトソン博士もいた。ワトソン博士とはユタで2度、コールドスプリング研究所で3回、東京大学の私の教授室で1回(この時は2時間も滞在された)お会いする機会があった。
ユタ大学時代に世界的な研究者から学んだことは、「多くの研究者に貢献する」ことの重要性だ。日本では一つの現象や分子を長期間にわたって研究することが学問だと信じられているが、私は「広く貢献すること」の重要性をこの時に学んだ。30歳代前半の5年間はその意味では私の人生にきわめて大切な体験を与えてくれた。1990年に始まった国際ヒトゲノム解析計画はみんなに広く貢献できる重要成果をみんなの努力で成し遂げるという精神だ。それが、遺伝子多型のカタログを作る国際ハップマッププロジェクト、国際がんゲノムプロジェクトへとつながった。
医学研究であるにもかかわらず、患者さんにどんな貢献をするのかを、心からではなく、予算を獲得する目的だけで薄っぺらく語る研究者が増えてきたのは嘆かわしいことだ(こんなことを言っているから嫌われるのだが)。自分が生きている間にできなくとも、患者さんと共に夢を追い続けるのが、本物の医学研究者だと思う。もちろん、夢を現実のものにすることができれば、超本物の医学研究者だ。
(続く)
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2020年9月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。