正義と品格、傲慢と利己主義~米国大統領選

様々な世界で様々な人に会い続けていると時としてまるで違う雰囲気を持つ方に出会う時があります。立派な教育と厳しい躾で人としての基礎をつくり、成熟してからもそれに一層磨きをかけているような方です。

(トランプ大統領 Twitterから:編集部)

(トランプ大統領 Twitterから:編集部)

あるいは話をしていてよく人の話を聞いてくれ、時として誤解を生みやすい言葉のやり取りもきちんとポイントを理解し、的確な回答やコメントをしてくださる方と接すると「あぁ、良い方と話ができた」と思うこともしばしばありました。そんな思いは今ではノスタルジーなのでしょうか?

アメリカ大統領候補の第一回目の討論会が開催され、メディアはぼろくそに評しています。史上最悪の討論会だった、司会者もコントロールを失うほどだった、勝者はなかったといった内容のニュースはあふれるほどありますが、肝心の討論の中身はどうだったのでしょうか?両候補の歩み、連邦最高裁判所、新型コロナウイルス、経済、人種と暴力、選挙の正当性という6つのテーマを90分という枠組みで話すには正直、総合雑誌の中身の薄い記事のようなものでそもそも期待度などないに等しいわけです。

とすればこの討論会はアメリカで最高峰のエンタテイメントだと位置づけた方がよいのでしょう。オリンピックと同じ4年に一度、アメリカのみならず、世界が注目する大バトルであり、両者はスーツこそ着ていましたが、リングの中にいればWWFと何ら変わらないレベルだったと思います。

アメリカがもしもこのような討論を辟易としながらも注目しているとすればそれはトランプ氏が作った分断社会ではなく、そもそも完全に分断されているアメリカの象徴であるともいえるでしょう。アメリカは格差や差別を前提とした国家基盤が歴史的に存在しています。白人と黒人、その後、ヒスパニックやアジアも加わります。エスタブリッシュメントの東部アメリカとオープンな西海岸。保守的な南部やラストベルトの北部、農村部と都市部。そして成功者と低賃金で日計りの暮らしをする労働者…。そしてその格差を埋めるはずの法治国家は弁護士だけが儲かるような仕組みと化し、銃は強い者が所有し、それが悪用され悲劇を生む、こんな社会であります。

シュレダーで細く切り刻んだような分断が生じている国において正義も品格も隠れてしまっています。大統領選は切り刻まれた数多くの集団を一つでも多く味方につけることが主眼です。外から見るアメリカは確かに繁栄と栄光があるように見えますが、よく見るとあまりにも未整備で荒れていてスタンダードなど存在しない西部劇の時代とさして変わらないのではないか、とすら思うこともあります。

アメリカにおいて成功者とは金持ちになり、豪邸に住み、巨大なキャデラックのSUVに乗り、あふれんばかりの貴金属を身に着けた美人のワイフをつれ、一流のソーシャルクラブに出入りし、トップの人々との社交を生きがいにすることなのでしょうか?多額の寄付をお互いに自慢しあうことが一流の条件となった社会は小説ネタにもなりません。

声の大きさを競い、相手の発言を遮るのは「半沢直樹」のようなドラマの世界だけで十分です。我々はあれを見て身近でそれが起きたとしたらそれを是とするのでしょうか?私は紳士淑女であってほしいと思うし、自己主張の度合いがより一層強くなってきた社会において保身の壁を取り払えるような気楽な社会が戻ってきてほしいと思います。

世の中には偏屈な人が増えてきたような気もします。なぜ、難しい人が増えたのか、それは人々の本質が表面的な社会や技術の進化についていけず、知らぬ間に知識、情報に端を発した分断化がより深く進んでいるのでしょう。どれだけ便利な社会になっても人と人が密接につながらない社会は国家としての価値を喪失するようなものだと考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年10月1日の記事より転載させていただきました。