学術会議の荒療治は「第2の小泉改革」の始まり?

池田 信夫

官邸サイト、学術会議サイトより

学術会議の問題は意外に大きい。予算10億円というのは国家予算160兆円の中では誤差の範囲だが、これは森友・加計のようなケチなスキャンダルではなく、内閣人事局による官僚機構のコントロールという安倍政権以来のテーマにかかわるからだ。

2013年に安倍首相が内閣法制局長官に慣例を破って外務省の小松一郎氏を起用したとき、マスコミは「法の番人」の独立性を侵害すると騒いだが、法制局は首相の指揮下にあり、独立性はない。同じく内閣直轄の学術会議も任命権は首相にある。これは単なる国家公務員の人事であり、「学問の自由」を侵害するという議論は成り立たない。

学術会議の決議には法的拘束力がなく、政府に対する勧告も無視できる。奇妙なのは、このような学術団体をなぜ内閣直轄の行政機関にしたのかということだ。これは学術会議の歴史的な経緯によるものと思われる。

学術会議は終戦直後に学問研究を民主化するために設立され、初期には総理府の諮問機関として実質的な政策決定に関与したが、1950年代には全面講和とか軍事研究禁止とか過激な決議を出し、次第に政権から遠ざけられた。

当初は会員が全国の研究者の直接投票で選ばれたが、政府がコントロールを強めるために1983年に任命制になった。このとき中曽根内閣は「任命は形式的なものだ」と国会答弁し、その後も学術会議の出した名簿どおりに任命することが慣例になった。

今回の任命が「1983年の国会答弁の変更だ」という批判があるが、答弁を変更することには何の問題もない。むしろ内閣が任命に裁量権をもたないという従来の答弁こそ、公務員選定の民主的統制(憲法15条)に反する。最終的に解釈を決めるのは、国会ではなく裁判所である。

学術会議問題で国会が荒れるのは必至

任命制になった学術会議は、1000以上の学会のボスが互いに会員に推薦する老人クラブになり、形骸化した。民営化も含めて独立性を高める改革が提案されたが、学術会議の反対で見送られた。単なる学会ではなく内閣直属の機関だということが、科研費などを配分するボスの権威の源泉だったからだ。

しかし2017年の会員選考では、杉田官房副長官(内閣人事局長)が学術会議に「正式の推薦候補105人より多い候補の名簿」を要求した。これは17年3月の軍事研究禁止決議がきっかけだろう。自民党からも左翼活動家の巣窟になっている学術会議の改革を求める声が強まった。

今回は内閣府が上げた名簿の中から、官邸が6人を除外した。人事で学術会議を改革しようという菅首相のねらいはいいが、内閣府とも協議しないでいきなり欠員にした手法は荒っぽい。何を基準にしたのか野党は追及するだろう。その全員が「安保法に反対する学者の会」の賛同者というのも偶然とは思えない。

国会はこの問題でつぶれ、補正予算の審議が止まるかもしれない。任命拒否された6人が公務員としての地位確認を求めて行政訴訟を起こす可能性もある。学術会議にはそれほど政治的コストをかける価値はないが、菅首相はこれを行政改革の梃子にするつもりかもしれない。

学術会議を活性化するには、今の中途半端な役所にしておくより民営化し、政府が委託研究費を出したほうがいい。全米科学アカデミーもイギリスの王立協会も政府機関ではなく民間の非営利団体であり、政府から委託研究費を受けている。

「官から民へ」を合言葉にした小泉改革は、特殊法人の民営化では大きな成果が上がらなかった。菅首相は小泉内閣で竹中総務相の副大臣をつとめ、郵政民営化を指揮した。今回の荒療治が「第2の小泉改革」のスタートになるなら、それも一つの戦略だろう。