北朝鮮朝鮮労働党創建75周年祝賀会が10日午前0時、平壌の金日成広場で開催され、金正恩党委員長の演説と大規模な軍事パレード が挙行された。
現地からの報道によると、①軍事パレードが10日未明に開催されたこと、北が米本土まで届く新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)を初めて披露すると共に、新型潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)も登場した模様。②金正恩氏はこの演説で自衛的手段として軍事的抑制力の強化の重要性を強調したこと、新型コロナウイルスの感染問題、制裁下の経済的困窮、台風などの自然災害の3重苦の人民に謝罪とその忍耐に感謝を繰返す異例のソフトタッチの内容だったこと、の2点に注目が集まった。
また、隣国韓国に対しては「南と手を取り合って新型コロナの危機を克服したい」と述べるなど、文在寅政権に対しても融和的なメッセージを送ったことも注目された。
その意味で、北の党創建75周年祝賀会は異例づくめなイベントとなった。ここでは2点、慣例の午前開催ではなく、深夜に軍事パレードが挙行されたこと、そして金正恩氏の演説内容について少し考えてみたい。
先ず、夜の軍事パレート開催について。①太陽のもとでICBM、そしてSLBMのベールを完全に脱ぐにはまだ未完成な部分があり、欧米の軍事専門家はそれを直ぐにキャッチするだろうという懸念があったこと(ハードの面)、②金正恩氏自身が夜のベールを一幕の劇の書き割りに利用し、指導者の神秘性を高め、祝賀会の最後のピークとなる花火大会を一層華やかに演出するために夜の開催となった(ソフト面)、等が考えられる。
可能性は少ないが、軍事パレード挙行をサボタージュする動きがあったため、抜き打ち的に未明の開催を強行したという情報もある。
それ以上に驚いたことは金正恩氏の言動が余りにも低姿勢だったことだ。金正日総書記以来の「先軍政治」の継続、抑止力としての軍事力の価値重視までは大きな変化はないが、注目は人民に言及した部分だ。
韓国中央日報日本語版によると、金正恩氏は演説の中で「ありがとう」、「感謝する」という表現を12回使用したというのだ。それだけではない。指導者としての不十分さを告白し、「申し訳ない」と言ったというのだ。祖父の金日成主席、父金正日総書記が聞いたら驚くかもしれないほど、低姿勢だ。執権8年目の金正恩氏はいつ「ありがとう」と「申し訳ない」という言葉を学んだのだろうか。宗教的に表現すれば、何が金正恩氏を改心させたかだ。
北朝鮮は今、新型コロナ感染防止のため中朝間の貿易も半ば停止状況で国民経済は厳しい。そのうえ、国際社会の制裁、そして台風など自然災害にあって、人民は文字通り3重苦に悩まされている。
金正恩氏は現地視察では「人民第一主義」を叫び出している。朝鮮中央通信(KCNA)は7月23日、金正恩氏が平壌近郊で建設中の光川養鶏場を視察し、北の採卵、鶏肉加工工場の近代化は遅れていると指摘し、「党が心を砕く人民の食生活問題の解決に寄与できる工場となることを期待する」と述べたというのだ(「金正恩氏の『人民第一主義』とは」2020年7月24日参考)。
中央日報によると、新型コロナ感染に打ち勝った人民に対し、金正恩氏は「世界を恐怖におとしいれている悪性の伝染病から、この国の全ての人をついに守り抜いたというこの事実、この感激の喜びに目がかすみ、みなさんの健康な姿を見ると、『ありがとうございます』という言葉以外に言うべきことがありません」と述べ、最後には「尊敬する全国の人民と皆さん! 本当に、本当にありがとうございます」として繰り返し感謝を強調したというのだ。
また、新型コロナウイルス防疫や水害復旧のために動員された軍将兵に数回「感謝する」という言葉とともに「すまない」と述べたという。
朝鮮中央テレビが放映した祝賀会ニュースを見ていたら、金正恩氏の演説を聞いて涙を流す婦人たちの姿がいつものように写っていた。金正恩氏の演説を聞けば、もともと涙腺が緩い北朝鮮国民は涙を流すだろう。
こんなことを書けば、北の国民には悪いが、当方は金正恩氏の演説内容を聞いた時、祝賀会が太陽が差す午前中ではなく、太陽が沈んだ夜に開催された狙いが分かったような気がした。「ありがとう」と「感謝」を連発し、自身の不十分さに「申し訳ない」と自責の念を吐露することは独裁者の金正恩氏にとって明るい光の下では語りにくい。そこで太陽が沈み、夜のベールが包む時間帯の祝賀会開催のほうが、金正恩氏は語りやすいと判断したのではないか。それとも、夜の闇が金正恩氏の心をウエットにしたのだろうか。
ちなみに、金正恩氏が謝罪を表明したのは今回が初めてではない。韓国の公務員が公海に溺れている時、北朝鮮に射殺され、遺体を燃やされた事件に対し、金正恩氏は韓国に素早く遺憾を表明して謝罪した。文在寅政権は北側の反応に驚くとともに、金正恩氏の謝罪に拍子抜けになってしまった。
一方、韓国国民の間で北側の蛮行に怒りが高まっていた。金正恩氏は謝罪し、党創建75周年の祝賀会では「南と手を繋いで新型コロナを乗り越えたい」と韓国側に対し融和的な発言をして、韓国国民にエールを送っている。
ひょっとしたら、金正恩氏は謝罪の重要性を知り、高姿勢ではなく、低姿勢で人民に感謝するほうが国を治める上で効果的だと学んだのかもしれない。それでは次はそれを実践する番だ。謝罪を連発し、実践が伴わなければ、人民の心はやはり離れていくだろう。金正恩氏には今こそ「人民第一主義」を実行して頂きたい。当方は、金正恩氏の言動に対し、微かな懐疑の思いが湧いてくるのを抑えきれないのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年10月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。