「凱旋訪問」というべきか、それとも単なる「私的謁見」というべきだろうか。バチカンニュースは後者を選んでいた。オーストラリアのローマ・カトリック教会の重鎮だったジョージ・ぺル枢機卿(79)はフランシスコ教皇が新設した財務長官(2014~19年)に抜擢され、文字通り、バチカンのナンバー3の立場に登り詰めたが、メルボルン大司教時代の未成年者への性的虐待問題が浮かび上がり、苦境に陥った。
母国オーストラリアに戻り、裁判に専心。一時は6年の有罪判決を受け、400日間を刑務所、厳密にいえば、独房生活を送ってきたが、今年4月、オーストラリア最高裁判所は「証拠不十分」として無罪を宣言した。そしてバチカンに戻り、フランシスコ教皇と今月12日、晴れて会見したというわけだ。
バチカンニュースが12日に発信した動画を見ると、ペル枢機卿はフランシスコ教皇と再会した時、長身の身を低くかがめ、笑みを見せながら挨拶していた。そして教皇と対面会見した。多分、枢機卿は教皇に裁判の経緯を説明しただろう。
教皇も枢機卿が無罪を勝ち得たことを歓迎し、枢機卿の苦しい日々を癒す言葉をかけただろう。双方には、語りたいこと、語らなければならないことが多くあったはずだ。もちろん、その会見内容は公表されていないから、外部の人間には分からない。
このコラム欄でも数回、ぺル枢機卿の裁判問題を報道してきたが、今年4月の「無罪判決」には驚いた。1人の裁判官(Mark Weinberg氏)が、「有罪判決を下すには証人の発言は十分ではない」と主張したことが無罪判決に繋がったといわれる。
ペル枢機卿は2017年、未成年者への性的虐待容疑で訴えられた。裁判に対応するため同年7月、バチカンを去り、母国に戻った。容疑はメルボルン大司教時代の1996、97年、2人の未成年者へ性的虐待を行ったという内容だ。メルボルン地裁(陪審制)は2018年12月、有罪判決を下し、19年年2月、枢機卿は刑務所に拘留された。同年6月の第2審も第1審の判決を支持した。
枢機卿は独房に収容された。性犯罪を犯した囚人の場合、刑務所で他の囚人に攻撃されるケースが多いため、独房に入ることが多い。今年4月の無罪判決まで、枢機卿は400日間余り独房生活の身だったわけだ。
ペル枢機卿は裁判では一貫として無罪を主張してきた。バチカンは告訴された枢機卿に対しては職務の履行停止と未成年者への接触禁止を言い渡し、「オーストラリアの司法制度を信頼している」と表明。一方、司法関係者は国民や信者たちに、「早急な判断を下すべきではない」と説明し、冷静に裁判の行方をフォローしてほしいと要請している。
なぜならば、オーストラリア教会の聖職者の性犯罪を調査してきた王立委員会の暫定報告書が2017年2月、公表されたが、その内容が余りにも衝撃的だったため、国民の間にはカトリック教会の聖職者に対して強い反発があったからだ。
オーストラリア教会で1950年から2010年の間、全聖職者の少なくとも7%が未成年者への性的虐待で告訴されている。身元が確認された件数だけで少なくとも1880人の聖職者の名前が挙げられていた。
すなわち、100人の神父がいたらそのうち少なくとも7人が未成年者への性的虐待を犯しているという数字だ。報告書によれば、教会側は事件が発覚すると、性犯罪を犯した聖職者を左遷する一方、事件については隠蔽してきた。ペル枢機卿は当時、「教会は大きな間違いを犯した」と証言したが、自身が事件を隠蔽したことはないと述べている。
ここで注意しなければならない点は、聖職者の性犯罪報告書が公表されたことで、多くの国民や信者たちには、「オーストラリア教会最高指導者の同枢機卿が全く事件を知らなかったとは到底考えられない」と受け取られてきたことだ。そのような雰囲気の中、ペル枢機卿は告訴され、裁判が始まり、有罪判決が下されたわけだ(「豪教会聖職者の『性犯罪』の衝撃」2017年2月9日参考)。
ペル枢機卿は、「この裁判はオーストラリア教会や司法機関の是非を問うものではない。私が性犯罪を犯したか否かを問う裁判」と指摘している。そして裁判の判決後、自分を訴えてきた人間に対して、「私は何も恨まない」と述べている。
「2人の枢機卿が演じた『犯罪ドラマ』」(2020年10月8日参考)の中で書いたが、ペル枢機卿の無罪判決と列聖省長官のジョヴァンニ・アンジェロ・ベッチー枢機卿(72)の辞任表明とは密接な繋がりがあるのはほぼ間違いないだろう。ペル枢機卿の無罪判決とカムバックは「真理の勝利」を物語っているのだろうか、それともドラマの第2幕の始まりを意味するのだろうか。ここ暫くペル枢機卿とベッチー枢機卿の動向を見守る必要があるだろう。
なお、ペル枢機卿の今後について、バチカンニュースは何も報じていない。フランシスコ教皇はペル枢機卿の行政手腕を高く買っているだけに、バチカン内の機構改革に登用するのではないかという。当方は個人的には、ぺル枢機卿が400日間の独房生活で何を考えていたのかに関心がある。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年10月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。