「官 vs 民」富山知事選、なぜ総務省は現職が落ちると困るのか

アゴラ編集部

富山県知事選(25日投開票)は選挙戦の折り返しを過ぎた。告示日の直前、アゴラの特報により、県庁職員が現職・石井隆一氏の選挙準備に関与した疑惑が浮上。異常事態のなかで選挙戦に突入したが、地元メディアの序盤の情勢調査では、石井氏と、新人の前日本海ガス社長、新田八朗氏が「横一線」の激しいデッドヒートを繰り広げており、革新系の川渕映子氏は伸び悩んでいる。

富山県知事選に立候補中の新田八朗氏、川渕映子氏、石井隆一氏(陣営SNSより)

他方、アゴラには初報以降、現役の県庁職員を含む富山県政の関係者から続々と情報提供が寄せられている。政策関係の資料について県職員が作成に関わったのではないかとの指摘に対し、石井氏は「指示したことは全くない」と否定しているが、これについて疑問や批判をする意見が相次いでいる。

ある情報提供者は具体的な部署名を複数挙げた上で、「一般職員が資料作成している部局もある」と証言する。事実であれば、石井知事の発言の信ぴょう性に関わる問題だ。

そうした中、興味深かったのが石井氏の出身官庁である総務省と富山県の関係を指摘する意見だ。別の情報提供者は「総務省にとって、石井氏は実に“使い勝手”の良い知事」と、ユニークな見方を示す。

写真AC、石井氏公式サイトより

石井氏は東大法学部卒業後の1969年、当時の自治省に入省。自治省財政担当審議官、総務省自治税務局長などを歴任した地方財政のスペシャリストであり、47人いる知事の中でも最も詳しいとされる。その識見を評価され、石井氏は全国知事会では、地方税財政常任委員長を務めている(参照:知事会サイト役員名簿)。

この委員会は、知事会が毎年、国に対して予算要望を行う際の理論的な柱の一つになっているが、この情報提供者は「海千山千の知事たちを理論で抑え込み、総務省も受け入れやすい知事会としての要望をまとめ上げさせているのではないか」との見立てを示す。石井氏に対して批判的なバイアスはかかっているだろうが、総務省にとって知事会をいかに丸く収めるかは実務上重要なのは確かだ。

近年の知事会の議論を振り返ると、国による都市部と地方の税収格差の解消を巡って、東京都の小池知事ら都市部の知事と地方の知事が対立する局面があった。

コロナ禍を機に、小池氏や、大阪府の吉村知事らに脚光が当たったが、総務省からすると、「国に物申す」リーダーは煙たい。国と地方、あるいは地方間で「揉め事」があったとき、知事会に石井氏のような“大物OB”がいることは心強いだろう。

都知事公式FB、大阪維新の会FBより

実際、昨年12月、新田八朗氏がいち早く知事選に名乗りを上げ、保守分裂の観測が出た頃から、総務省も石井氏落選への危機感を募らせていた可能性がある。

先頃アゴラが特報したように、総務省から出向中の部長が公用パソコンを使って立候補予定者討論会に向けたアドバイス資料を作成したことが発覚。この部長は「個人的な思いから」と釈明したが、公務員の政治的中立性を問われかねない事態だった。

さらに2月中旬にさかのぼると、黒田武一郎事務次官が県庁で「地方行財政の課題」と題して講演している。総務省の事務方トップがわざわざ富山まで出向いて講演する力の入れようも目を引くが、県のサイトに「当時」掲載された報告によると、15市町村の職員及び県職員約130人が聴講し、会場には県内3町の町長も参加していたというから、石井氏が企図しなかったにせよ、中央とのパイプを持つ石井氏の「威光」を示すデモストレーション効果があったのは間違いない。

なお、「当時」と記載しているのは県のサイトが選挙中に入り、知事選を理由に石井氏の活動模様のページを非公開にしているためだ。選挙中の公平性を期するという見方もあるだろうが、現職の実績を県民が検証する際に支障をきたす可能性もあり、県の広報体制について評価は割れそうだ。

富山県知事選「官 vs 民」激闘の歴史

吉田實(射水市サイト)

富山県知事は戦後の公選制になってから歴代で6人を数えるが、このうち5人は石井氏を含めて、官僚出身だ。例外は公選第3代の吉田實。東京帝国大学を卒業後、地元の農学校の教諭となり、戦時中に大陸へ渡って貿易会社に勤務した。

吉田は戦後復員して大島村(現射水市)の村長となると、1956年、歴代の官僚系知事が続いた県政に終止符を打とうと出馬。農業団体の支援をベースに社会党、一部自民の支持を得て、自民党支援の元官僚の前副知事を破って初当選。現在まで唯一の民間出身の富山県知事となっている。知事就任後の吉田は立山黒部アルペンルートや富山新港の開発などに成果を上げた。

そして吉田の国政転出に伴う1969年の知事選がまさに今回と同じ保守分裂の選挙だった。このとき吉田は自らの県政を支えた副知事を支援したのに対し、自民党は旧農林省出身で、県の中田幸吉・農地林務部長を擁立。得票率にしてわずか4%弱の接戦の結果、中田が勝利。以後の富山県政は、中沖豊(旧地方自治庁=現総務省=出身)、現職の石井氏と3代続けて官側が“掌握”している。

なお今回、石井氏と知事の座を争う新田氏の祖父で、公選第2代知事、高辻武邦は内務官僚出身。副知事として自らを招いた初代の館哲二が公職追放で突然知事を退任することになり、その後を継いだ。高辻が知事を退任してから今年でちょうど60年。孫の新田氏のほうは民間出身を売りにしており、その「コンバート」は歳月の経過を感じさせる。

久しぶりに「官 vs 民」の激戦になった今回の富山県知事選、どちらに軍配が上がるのだろうか。

(故人は敬称略)