反政府デモの行方

岡本 裕明

タイで反政府、王政改革を求めるデモが盛り上がっています。特にタイに於いて王政について批判することはタブーとされている中で国民がそれに正面切って声を上げるようになり、5人以上の集会の禁止の定めもほとんど無視されている状態です。

(バンコク、写真AC:編集部)

(バンコク、写真AC:編集部)

タイはしばしばクーデターが起きていますが、今回のデモに関係するのは2014年のクーデターで軍事政権となったことでしょうか。国民の強い声を受け今年3月に総選挙、7月には名目上の新政権が成立し、軍事政権ではなくなったとされます。しかし、実際にはプラユット首相他軍政時代の人が横滑りした感がある政権は軍の影響力が強いため、国民が強く民主化を求めている流れであります。

また同国の国王、ワチラロンコン国王(ラーマ10世国王)はドイツのホテルに「居住」し、タイには公務があるときたまに戻るだけ。おまけに正式な側室がおりドイツでは20人もの女性に囲まれて住んでいるとされるプレイボーイでまるで徳川時代の側室話のようであります。この浮世離れした生活と体制に対してタイの学生らが中心となって怒り狂っているというのが事実のようです。

大規模反政府デモはあちらこちらで見受けられます。欧州、ベラルーシと言っても地理的位置関係すらわからない方も多いと思います。ポーランドとロシアの間に位置し旧ソ連からの独立国ですが、独立から3年後の1994年より大統領に収まっているルカシェンコ氏は欧州最後の独裁国家の悪名を持ち、国民は怒り、大統領選も不正だったと叫ぶもののその改革には遠く及びません。

記憶に新しいところでは香港の反政府デモも激しかったのですが、中国の強権になすすべもなく収まってしまいました。香港の若者は中国の管理社会に組み込まれることに恐怖を抱き、必死の抵抗を試みました。あるいは英国が永住への道を提示し、カナダ、オーストラリアでも永住権や市民権保有者が戻ってくるのではないか、とされましたが現状、そこまで大きな動きは起きていません。

アメリカの大統領選は二分化された国家という表現をします。テレビに映るのは共和、民主共に熱い支持者層であり、双方激しい主張をしているものの、大統領のふるまい以上に品格を疑われる議会政治に対し、無党派を決め込むアメリカ人が4-5割にも達することはあまり触れられません。とすれば今回の大統領選もメディア合戦に踊らされているものの割と多くのアメリカ国民は冷静にみているのだろうと察しています。

日本では私の知る限り最も過激だったのは60年安保の時だったと思います。日比谷公園は人で埋め尽くされ、国会議事堂を何重もの人垣が取り囲んだあの熱い日々について学校では教えることはないでしょう。あの安保の原動力は何だったのか、いろいろ理由はあると思います。私より読者の皆様がはるかに詳しいと思います。その中で私が思うのは政府による強権力の行使、そして国民のボイスが国政に十分に反映されないことへのいらだちに勤労者が同調せざるを得ない雰囲気が生じたと考えています。つまりデモに行くことは会社への忠誠心という面も強かったのだろうと察しています。

学生運動は当初、共産党と協力して始めたものの共産党の弱腰ぶりから学生主体の新左翼が形成されます。が、60年安保以降は迷走を繰り返しました。ここで国民(というより企業の労働組合)とは完全に離反したのです。ある意味、日本におけるデモは一時的なものだったように感じます。難産だった日米安保は今の日本にとっては重要は外交軸となっています。

民主化を訴えたアラブの春では多くがその後、迷走しました。独裁政権を転覆させた目的は達しても将来プランが確立されなかったことが災いしたと思います。香港のデモもその点は甘かったように感じます。気持ちはわかるのですが、敗因の一つは頑強な中国政府もありましたが中国本土の国民が持つ差別感情が冗長された点もあったかと思います。「香港だけ特別扱いはずるいだろう」という中国本土から見た不平等感であります。その意味では我々のイメージする香港は1997年に終わっていたのかもしれません。

反政府デモは国民の声という圧力はありますが、その目的が達成されても必ずしもうまくいかないこともあります。韓国のろうそくデモで朴政権を追いやりましたが文政権になってどれだけよくなったかといえば外から見れば疑問点だらけです。デモによる成果は急変であり、国民がその大きな変化についていけない点は見過ごせないでしょう。

タイのデモも何かを勝ち取った場合、その衝撃に国民のベクトルがまとまるのか、ここが最大のポイントだろうと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年10月19日の記事より転載させていただきました。