北朝鮮の朝鮮労働党創建75周年祝賀会が10日午前零時、平壌の金日成広場で開催され、金正恩党委員長の演説と大規模な軍事パレード が挙行された。
金正恩氏の涙ながらの演説についてはこのコラム欄でも紹介したが、やはり無視できない点は、金正恩氏は核兵器を維持し、抑止力として活用する姿勢に何ら変化がないこと、米本土まで届く新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)を初めて披露すると共に、新型潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)も登場したことから、自衛的手段として軍事的抑止力の強化の重要性を再確認させたことだ。
要するに、金正恩氏は国家の貴重な資本を投入して製造した核兵器をどのようなことがあっても放棄しないことを内外に、改めて明らかにしたわけだ。隣国韓国や日本も北側の基本路線を間違って受け止めてはならないだろう。米国主導の北との非核化交渉に多くを期待することは現時点では非常に危険といわざるを得ない。
ところで、過去には、米国や英国の説得を受けて核開発計画を放棄した国はあった。北アフリカのリビアだ。同国最高指導者のカダフィ大佐は2003年12月、米国の提案を受け入れて、大量破壊兵器(WMD)全廃宣言をした。その代り、リビア側は国家の体制保持を得た。
リビアと米国は当時、良好な関係を築いていた。核開発計画の放棄後、リビアの「その後」はどうなっただろうか。隣国チュニジアの民主化運動(ジャスミン革命、2010~11年)の影響もあって、リビア国内で反カダフィ勢力が台頭。1969年のリビア革命で政権を掌握してきたカダフィ大佐は2011年8月、リビア内戦で体制が崩壊し、自身も反体制派によって殺害された。同大佐が42年間余り維持してきた独裁体制は消滅していった。現在のリビアは国内で内紛を繰返し、多くの国民が欧州に難民として流出している。
当方はカダフィ大佐がWMD全廃宣言を表明した1年後(2004年10月)、ウィーンを訪問した同大佐の次男セイフ・アル・イスラム・カダフィ氏と単独会見する機会があった。リビア側が北朝鮮の核開発計画をどのように見ているかを知りたかったからだ。
リビアのカダフィ大佐ファミリーと北朝鮮の故金日成主席は交流があった。同氏は、「父に随伴して北朝鮮を訪問し、金日成主席と会見したことがある。わが国と北朝鮮は久しく良好関係を堅持してきた。その意味で、北朝鮮の核問題については懸念している」と述べた。
そして、「北朝鮮が米国などから体制維持への具体的な保証を得るならば、同国は核開発の計画を断念すると確信している。安全が保障されれば、平壌は核問題でもっと柔軟に対応できるはずだ」と述べた。北朝鮮の非核化問題に対する通称「リビア案」という内容で、「体制維持の保証」と「核計画の放棄」の交換案だ。
金正恩氏と3回会見したトランプ米大統領の対北非核化構想「完全かつ検証可能で不可逆的な核廃棄」(CVID)もリビア案がその基本にあるのだろう。武力介入による北の体制崩壊は中国が背後にいるだけに非常にリスクが大きい。だから、リアビで成功した交換案が双方にとってリスクが少ない非核化というわけだ。
しかし、16年前にカダフィ氏が語った「核開発計画の放棄」と「体制維持の保証」案は北朝鮮では日の目を見ることがなかった。北朝鮮は2006年10月9日、1回目の核実験(爆発規模は1キロトン以下、マグニチュード4.1)を実施し、これまで6回の核実験を行っている。
そして金正恩氏は今日、「核保有国」の認知を米国などに要求している。党創建75周年の演説の中でも明らかなように、北は核兵器を放棄する意思はまったくなく、軍事力の強化で体制の維持を目指す方向に歩んできているわけだ。
核開発計画を全廃した独裁者カダフィ大佐のリビアは体制崩壊した。一方、核開発を続行し20基以上の核兵器を保有するまでになった北朝鮮は体制保持と核保有の道を歩み出しているわけだ。その意味で、セイフ・アル・イスラム・カダフィ氏の対北核問題への提案は自国リビアでも北朝鮮でも実現されなかったことになる。
両国の違いは、2003年の段階でリビアの核開発は初歩的段階で核兵器製造までまだ遠かったが、北朝鮮は核兵器製造に近づいていたことにあるだろう。
カダフィ氏は当方との会見の中で、WMD全廃宣言後のリビアの行くべき道として、「わが国はアフリカ同盟(AU)の創設国だ。AU諸国の指導者はAU憲法、議会、共通通貨、アフリカ中央銀行、証券会社などの創立に向け努力中だ。AUの拡大強化がリビアの主要外交方針だ。南アフリカ、ナイジェリアなどアフリカ主要国と連携し、AUの拡大強化のために一体化していく考えだ」と説明した。
その後のリビア情勢は同氏の願いのようにはいかなかった。父親カダフィ大佐は2011年殺害され、同氏も同年11月、リビア南部で反体制派武装勢力に拘束され、拷問では指を切られ、2015年には銃殺刑の判決を受けたが、17年6月、恩赦を受け釈放された。同氏(48歳)が現在、何をしているか当方は知らない。当方は、ウィーン訪問時に多くの支持者からポップ・スターのように大歓迎されていたセイフ・アル・イスラム・カダフィ氏の紅潮した表情を思い出すだけだ。
42年間、リビアに君臨したカダフィ大佐とその息子たちの数奇な運命を思いだすと、松尾芭蕉の句が浮かんでくる。
夏草や 兵どもが 夢のあと
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年10月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。