新型コロナウイルスの感染第2波が欧州全土を襲っている中、フランスとオーストリア両国でイスラム過激派テロ事件が発生し、多くの犠牲者が出た。
フランスでは10月16日午後、パリ近郊の中学校の歴史教師が18歳のチェチェン出身の青年に首を切られたテロ事件はフランス国民ばかりか、欧州全土に大きな衝撃を与えたばかりだ。
一方、オーストリアでもウィ―ン市で2日午後8時、イスラム過激テロ事件が発生し、4人が犠牲となり、23人が重軽傷を負うテロ事件が起きた。
興味深い点は、フランスでは斬首された歴史教師が、オーストリアでは20歳のテロリストを射殺した特別部隊の2人のメンバーが、国から勲章が授与されたことだ。当方は、「イスラム過激派テロ事件」と「勲章」との関係が暫く納得できなかった。
フランスのテロ事件では、殺害された教師サミュエル・パテイさんは授業の中でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描いた週刊誌を見せながら、「言論の自由」について授業をしていた。マクロン大統領は10月21日、テロの犠牲者、中学校の歴史教師パティさんに「言論の自由」を死守したとして勲章を授与し、国葬を挙行した。同国ではそれ以外にもイスラム過激派テロ事件は起きているが、犠牲者に勲章が授与されたケースは聞かない。
マクロン大統領がパテイさんに勲章を授けたというニュースを聞いた時、当方は当時、正直いって驚いた。マクロン大統領は2022年の大統領選で再選するためにイスラム過激派テロ問題をテーマ化し、失った国民の支持を得るために政治パフォーマンスを演じているのではないか、と憶測したほどだ。
ところが、フランス国民にとって「政教分離」(ライシテ)後は聖なる場所はもはや「教会」ではなく、「学校」を含む教育機関であることを知った。フランスでは高等学校卒業試験の日は国家的行事と受け取られ、国民やメディアの関心を集める。「学校」はフランスの未来を左右する重要な国家的機関と受け取られているというのだ。
欧州では中世時代、カトリック教会の固陋な世界観に覆われ、社会全体が矛盾と閉塞感に包まれていた時、人間の英知を促す啓蒙思想が出てきた。その影響を受けて市民階級の意識が高まり、封建的階級支配は打破され、自由、平等、博愛を掲げたフランス革命が起きたことは歴史が教えるところだ。そして1905年、フランスで政教分離(ライシテ)が施行された。
そのフランス革命の伝統を学校が継承してきた。それゆえに、殺害された歴史教師はフランスの伝統の継承者であり、その死は殉教と受け取られた。マクロン氏がパテイ氏を国葬し、勲章(最高勲章のレジオンドヌール勲章)を授与したのは当然の決定だったわけだ。
ちなみに、フランスでは2016年7月、北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会でアメル神父が2人のイスラム過激派テロリストに首を切られて殺害されるテロ事件が発生した。同神父はその1年後、フランシスコ教皇から殉教者として聖人に列聖されている(「あの日から『聖人』になった老神父」2017年7月30日参考)。「政教分離」のフランスでは、パテイ氏はアメル神父と同じ立場だったのだ。
ウィーンでは5日、イスラム過激テロ事件後、2人の内務省所属の特別部隊(WEGA)がテロ事件の解決に貢献した英雄としてクルツ首相とネハンマー内相から英雄勲章を受けた。クルツ首相は、「勇気と決意のある行動で自身の命の危険をも顧みずに市民の安全のために戦った」と、その活躍を称えている。
ウィーンのテロ事件は正味9分間で幕を閉じた。WEGAとコブラ部隊がいち早く派遣され、重武装していたテロリストを素早く処分した。テロリストが9分以上、銃撃を繰返していたらもっと多くの犠牲者が出ただろう。その意味からも、2人のWEGAメンバーの活躍は市民の命を守った行為として異例の勲章授与に繋がったわけだ。
ウィーン市中心部で起きた銃撃テロ事件では4人(21歳男性・24歳女性・39歳男性・44歳女性)が亡くなり、23人が重軽傷を負った。事件の捜査が進むにつれて、犠牲者のプロフィールが報じらてきた。
ドイツからウィーンの芸術大学に入学したばかりで、学費を稼ぐためにガストハウスで働いていた24歳の女性が銃弾を受けて亡くなった。念願の大学の試験に受かり、これから学んでいこうとしていた矢先だ。若いテロリストは、射殺した女性が大きな夢をもって夜遅くまで働いていた、とは知らなかったはずだ。
4人の犠牲者の中にはテロリストと同じ北マケドニア系オーストリア人の21歳の男性がいた。テロリストは彼に対して2回、計4発撃っている。死を確認するようにだ。テロリストと犠牲者はひょっとしたら知り合いだったのかもしれない。顔を見られたテロリストは同じ北マケドニア人の青年を生かしておけば自分の身元が割れると考えたのかもしれない。テロリストは執拗に倒れた青年に向かって撃った。
テロ事件で犠牲者となった人の事情を振り返ると、人間の運命を感じてしまう。ある男性は、仕事を終えて近くのガレージに行ったが鍵を忘れていたことに気が付き、取りに戻ろうとしたため、狙撃者と出会わずに無事だった。一方、仕事帰りに犯人にたまたま遭遇した女性は射殺されている。
旧東独ザクセン=アンハルト州の都市ハレ(Halle)で昨年10月9日、27歳のドイツ人、シュテファン・Bがユダヤ教のシナゴーク(会堂)を襲撃する事件が発生し、犯行現場にいた女性と近くの店にいた男性が射殺された。Bはシナゴークの戸を銃と爆弾を使って破壊し、会堂内に侵入する予定だったが、戸を破壊出来なかった。激怒したBは道路を歩いていた女性の背中に向かって発砲して殺害した。Bはまた目の前を歩いてきた男性を射殺しようとしたが、改造した銃が突然作動せず、男性は辛くも逃げることができた。ハレのテロ事件でも人々の運命に明暗が分かれた。
国家の「勲章」は教師の遺族関係者にとって細やかな慰めになるかもしれないが、犠牲者を取り戻すことは出来ない。20歳の若いテロリストを射殺しなければならなかった2人のWEGAメンバーにとっても辛い経験だったろう。1人は、「自分にとって忘れることが出来ない日となった」と述べている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年11月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。