主権在民下での管理運営者は政府であります。我々は菅首相が操縦する巨大な乗り物、ニッポン丸に乗っているようなものであります。この操縦者の選定は国民が直接的に選ぶわけではないので当然ながら国民の方々からは様々な意見が出ます。乗り心地、スピード、目的地…いろいろあります。
さて、首相就任後41日目でようやく所信表明演説を行い、国会論戦、予算委員会も一巡し、菅首相の操縦技術が注目される状況となりました。就任直後はどんな指針を打ち出すのか、興味津々だったと思いますが、今、第一ステージを迎え、どのような期待感、あるいはご意見をお持ちでしょうか?
世論調査の支持率はひと月で各調査機関、概ね10%ポイントほど下げています。当初の高い支持率は「令和おじさん」といった知名度や長年の官房長官としての業務を通じた安心感など一定の評価に期待感が上乗せされたような状態だったと思います。11月の世論調査は10月ほどは下げないと思いますが、支持率が上がる要素もないかもしれません。
なぜ、初動の世論調査で支持率が下げたかですが、理由は個人的にはビジョンの欠落なのだろうと思っています。「どうしても首相になってこの国をこういうふうにしたい」という熱意から首相の座を射止めたわけではなく、かなり政治的な配慮の下、消去法的に押し上げられたという点において私は当初から短命ではないか記させて頂いております。安倍前首相の色が濃かったことからその女房役が中継ぎをしているといったら厳しいでしょうか?
強力な個性を出した方あとのポジションを埋める方はそれ以上の色がないと埋もれてしまいます。理由は比較されやすいからであります。その点、菅首相は割り切ったポジションを取っているように見えるのです。つまり、初めから「令和の大宰相」など目指さず、安倍前首相の築いた方向感の中で実務に徹するということであります。
政治家とは時として理念ばかりで実際には何も起きない、ということがしばしばあったと思います。菅首相の所信表明演説を改めて全文読んでみると見事に実務だけ。つまり、ビジョンはほとんど見られないし、ニッポン丸が向かう菅首相の独自の行き先も示していません。
私は菅首相をグレートアドミニストレーターだとみています。政治家好みのいかなる修飾語も必要とせず、着々と問題と対峙する、そのために内閣の布陣も実務中心で据えてみたという感じがします。その先頭を走るのが河野大臣ではないかとみています。
私はこれはこれでよいのではないかと思います。日本が向かう道はさんざん議論されてきた中でグローバリズムの修正、米中間に挟まれた日本の立ち位置、少子高齢化といった既存の問題の上に人類の歴史に残るコロナ禍という課題が生まれてしまいました。
日本だけではなく地球上全てであらゆる常識とやり方が覆されてしまった今、新たなビジョンは出しにくいのかもしれません。まずは落ち着き、平常時に戻ってからではないと考え方の土台が不安定ではないかと考えています。
学術会議のことが政権の屋台骨を揺らすかと言えばそんなこともないと考えています。個人的には「桜を見る会」が批判を受けて中止したのと同様、現在の学術会議そのものが根本的にすっかり変わるとみています。そもそもが中途半端な位置づけだったのに学者がそれに一定の箔をつけてきたわけですからやむを得ないでしょう。政府が面倒を見る自動的な権利はもうないということです。よくぞ改革するネタを振ってくれたと思っています。
枝野氏が国会質問で本件に対して「支離滅裂、辞職ものだ」と言っているのですが、せっかく大きな野党の党首になったのに攻め口は以前と全然変わらず、上げ足的、挑発的で論戦にならない展開だったと思います。
私は菅首相は首相個人を見るのではなく、「チーム菅」で評価すべきと思います。日本的組閣でそのリーダーたる首相が実務にたけているので案外、数多くの所信表明演説に記された内容が実現していくような気がします。そして菅総理の次の首相こそ、ビジョンを持って日本がアジアの中でどう立ち振る舞うのか、社会や経済について20年、50年後の日本に向けた軌道修正すればよいかと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年11月8日の記事より転載させていただきました。