1776年7月4日の米国独立宣言は、前文で「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と述べている。
天才学者小室直樹は「悪の民主主義―民主主義原論」の中で、ジョン・ロックが「統治二論」で述べた「人間は生まれながらにして完全な自由を持つ。人間はすべて平等であり、他の誰からも制約を受けることはない」との語を引き、これが米国の民主主義を象徴する独立宣言の背後にある思想だと述べる。
共に民主主義の根幹である「自由」と「平等」が主役だからだ。小室は、ロックの「自由」とは「働くことの自由」であるとし、失業者がどれほど悲惨かを述べる。そしてロックの「平等」の一つが「契約における平等」だとし、契約を結ぶことができない奴隷を例に挙げる。
もう一つの「平等」は「働く自由によって私有財産を得る」こと。独立宣言にいう「平等」とは、「契約の平等」と「私有財産獲得の平等」だという。ロックが「国」なるものを「自然人」に存する「自由」と「平等」から説き、そこから独立宣言が「国民国家」を導き出したと小室はいうのだ。
東アジア史家の岡田英弘も「米国独立以前には、君主制と自治都市の政治形態しかなく、今日考えるような国家はなかった」とし、米国独立の本質は「市民が王の私有財産を乗っ取ったこと」であり、ここから「国民」が「国家の主権者」との概念が生まれたと述べる(「歴史とはなにか」文春新書)。
「1776委員会」
米国の独立宣言がどれほど画期的か述べたのは、トランプ大統領が大統領選投票の前日に、愛国的な教育を促進するための「1776委員会」を設置する大統領令に署名したからだ。本稿ではトランプがこの大統領令署名に至った経緯をたどる。
大統領令の冒頭にはこうある。
-憲法とアメリカ合衆国の法律によって大統領としての私に与えられた権限により、そしてこれから成長してゆく世代(rising generation)が、1776年にアメリカ合衆国建設の歴史と原則をよりよく理解して、これを通じてより完全な連邦を作り上げるようにするため、ここに次のように命令する。-
第1条「目的」には、自由と平等の権利を原則にして形成された共和国は、憲法制定、内戦、奴隷制廃止、一連の国内危機と世界紛争を経て歴史上稀な国家となったが、近年、このような歴史に反し、貧弱な学問に基づく一連の論争が我が建国と建国者を中傷している、とある。
そして、米国を救い難い組織的な人種差別国と見做すことでは、偉大な英雄の運動が奴隷制と公民権に果たした役割を説明できないと述べ、現在、多くの学生が自国を憎み、建国した男女が英雄ではなく悪役であると信じるように学校で教えられ、この「歪んだ視点」を修正しないと、我々の国と文化を結びつける絆が失われる可能性があるとする。
第2条「大統領諮問1776委員会」では、120日以内に教育長官は「1776委員会」を設立し、次の世代がその歴史と原則をよりよく理解できるようにすることが述べられ、会の構成や役割などが列挙される。以下、第3章は9月17日の「憲法記念日」の祝い方について、また第4章は連邦資源の活用について述べられ、第5章の一般規定で締め括られる。
「1619プロジェクト」
トランプが「1776委員会」を設立した背景には、大統領令第1条が触れた「歪んだ視点」の件がある。それは「1619プロジェクト」と称する、昨年8月にニューヨークタイムズ紙(NYT)が特集した12本の米国建国史の修正とも思える記事に代表される「危険なプロバガンダ」を指す。
プロジェクトは要すれば、アフリカからの黒人奴隷が独立前のバージニア植民地に初めて連れて来られた1619年を米国建国の年とするというもの。それは、米国史は黒人奴隷の迫害を軸に展開してきたとし、1776年の独立戦争の動機の一つには奴隷制の維持があったとまで主張する。
5月4日には米国の優れた報道などに贈られる今年のピューリッツァー賞が、このNYTの特集のリーダーだったニコル・ハナジョーンズ記者にも、香港でデモを鎮圧する警官の盾に圧し潰される少女の報道写真などと共に贈られた。
当然のことながら、この特集の歴史認識にも、ハナジョーンズ記者のピューリッツァー賞受賞にも、米国内での賛同と猛烈な批判とが澎湃として起きた。後者では、米国科学アカデミー(NAS)が10月、ピューリッツァー賞委員会に対し、同記者への授賞の撤回を求めた。
プリンストン大の歴史学者ウィレンツ教授は、プロジェクトのいい加減な姿勢を厳しく批判し、彼を含む5人の著名な歴史家は12月、NYTに事実誤認などを指摘する手紙を出した。が、NYTがこれを無視したため、政治メディア「アトランティック」が本件の経過を批判的に掲載した。
黙っているはずがないトランプ大統領も9月、NYTとプロジェクトを「左派による洗脳教育」、「危険なプロバガンダ」と非難する演説を行い、学校教育から偏向した歴史教育を排除することを宣言した。それが「1776委員会」設置の大統領令署名となって早くも結実した。
一方のNYTも、オピニオン欄編集長の辞任や、それに伴う左右の読者からの購読キャンセル(キャンセルカルチャー)、そして同社コラムニストのブレット・スティーブンスによる同プロジェクト批判コラムの掲載など、少なからず混乱に陥った。
本件が示唆すること
まずはNASがピューリッツァー賞委員会に対し、ハナジョーンズ記者への授賞撤回を求めたこと。ジャーナリズムの役割は歴史の一コマとなる事実を報じることであって、歴史を研究し、叙述するのはアカデミアの仕事だ。NASの愛国的行動を日本学術会議にも見習って欲しい。
次に受賞直後にフロイド事件が起きてBLM運動が表面化し、社会の分断が増幅したこと。この経緯を見れば、トランプが分断を煽っているとの見方は間違いで、むしろリベラル勢力が人種差別という寝た子を覚ましたと知れる。分断はオバマ時代に顕在化していた。
翻って日本では、教科書から聖徳太子の名が消され掛けたり、疾うから学校から二宮金次郎像が撤去されたりしている。小室博士は二宮金次郎こそ民主主義と不可分な資本主義の申し子であり、日本のフランクリンと礼賛する。自国を愛する教育が国家団結の要であることは、李登輝が改訂した歴史教科書「認識台湾」が示している。
小室も歴史教育と歴史研究とは別物で、民族教育である米国の歴史教育では負の側面は教えないと述べ、「さもなくば移民の国である米国はたちまち解体する」とする。ところが昨今増加する移民には、コミュニケーションがままならぬ者が多いとされる。トランプの大統領令の目的の一つには彼らへの民族教育も含まれよう。
年内に決着しそうもない米大統領選では、ソーシャルメディアを含めた多くのメディアとトランプの対決が一層浮き彫りになった。大統領に誰がなろうと、「1619プロジェクト」的なものと「1776委員会」的なものとの分断は容易くは埋まるまい。日本も他人事ではない。