大阪都構想と特別自治市 〜 大都市制度改革の議論広がる

太田 房江

大阪市を空から撮影(Korekore /iStock)

11月1日、「大阪都構想」の住民投票は否決で決しました。新型コロナウイルスの感染拡大で、関西経済は絶好調だったインバウンド効果が消え失せ、日々の生活に言い知れぬ不安が広がる中で、民意としては最終的に大阪市を残すという判断が下ったということです。

賛成派の維新が「二重行政をなくすことが成長につながる」と言い続けたのに対し、住民サービスが本当に維持されるのか、初期コストはどれくらいかかりどうクリアするのかなどの懸念に対し、維新側が説得力のある説明ができなかったこと、そして何よりも、大阪市という地名への愛着、伝統や文化を育んできた重みが大きかったのでしょう。結果として、高齢者だけでなく若い世代にも反対が広がっていました。

2度目の今回も僅差での否決とはいえ、明確に民意が示されたと認識すべきと考えます。自民党大阪府連としては、これからが大事で、大阪市を残しつつ、都市としての成長発展を実現する責務を負うことになりました。これを受け、府連では「大阪成長戦略本部」を設置し、経済界も巻き込んで、制度論を含め検討を進めることにしています。

維新は、早速、大阪市内24の行政区を8つの総合区に再編し、市の権限を付与、再編する「総合区」構想に切り替え、「府市一体条例」なる条例を議会に提出する方向のようですが、今回、明確に否決された「都構想」を、大阪市を残しながら再度実現しようとするものとも見受けられ、府市双方の議会で十分議論されるべきものと考えます。

一方、全国規模で大都市制度のあり方を巡る議論が広がってきていることは、少子高齢化、人口減少時代の地方自治のあり方を考える上で大変意義のあることだと思います。

たとえば住民投票を機に注目されているのが「特別自治市」。全国に20ある政令指定都市の市長会が10年前から提案している制度ですが、大阪都構想が政令市を廃止・分割するのとは真逆の発想で、政令市に都道府県と同等(以上?)の権限を与えて強化するものです。

具体的には下記の図のように、国からハローワークの事務も移譲。「地方の行うべき事務の全てを一元的に担当」との触れこみで、現在は道府県が行っている警察、パスポート発給などの役割も特別自治市で担うというものです(参照:【指定都市市長会】平成23年7月27日『新たな大都市制度の創設に関する指定都市の提案』)。

こうした議論が政令市から出てくる背景には、厳しい財政事情があるといえます。

政令市は、豊かなイメージを持たれがちですが、実は住民の高齢化やインフラの老朽化が急速に進展しており、地震や水害などの防災、さらにコロナ対策と今後お金がかかる問題が山積しています。より強く広い範囲での権限を持つことで、さまざまな難題に対処できるよう権限と財源を充実させたいという思いが強いわけです。

政令市の市長の皆さまの思いは、私も大阪という都市の知事を経験しましたので、一定程度共感する部分はあります。しかし、もう少し広い視野でみると、現在の政令市が特別自治市になって“局所”的に権限を集中したら、デメリットも相応にあると考えます。

特に首都圏や関西圏はそうですが、経済圏として見ると、インフラ整備や産業振興をはじめとして、広域的な成長戦略の下で政策を展開した方がより有効と考えられます。防災や危機管理も同様です。

また、警察業務についても、やはり都道府県単位の運営を基本とした方が実状に即した運用ができることは確実。コロナの感染が拡大した春先には、府県境の移動をどう制御するかが問題になったように、今や、市境を越えない事象が数少ないことを考えれば、政令市にあらゆる権限を集中することは、デメリットの方が大きいかもしれません。

だからといって政令市が現状のままでいいという訳でありません。日常の行政サービスをより身近なものにし、広域的に対応した方がよい施策、政令市の権限を強化した方が県全体のためにもなる施策に整理して、国、都道府県と政令市の間でもう一度、効率的・効果的な権限のあり方を検討する。その延長線上には「道州制」の議論も当然出て来るべきと考えます。

また、広域行政を円滑に進めるための、一種の「都市連合」のような組織を検討することも一案です。(実は、私は府知事時代、「大阪新都構想」としてこの案を提示しました。)

そもそも、大都市制度のあり方を巡って議論がくすぶり続けるのは、国がこの議論を放置してきたツケが出てきたものです。道州制の論議も含め、もう30年もほったらかしではありませんか。

少子高齢化、人口減少、大規模災害に加えて、コロナ対策による財政ひっ迫が追い討ちをかけて一気に噴出したのが、「都構想」であり「特別自治市」であると思います。

指定都市制度がはじまったのは終戦から11年後の1956年。時代は大きく変わっています。「都構想」には終止符が打たれましたが、大阪から火がついた議論を、国政でしっかり受け止めて、都市制度のあり方、地方自治のあり方の議論を前へ進めなくてはなりません。