「THE21オンライン」で先々月公開された記事、『「会社人生が終わっても、人生は続く」住友銀行の副頭取が選んだ“69歳での起業”』に、大型リチウムイオン電池および蓄電システムの開発・製造・販売を行っているエリーパワーのトップ、吉田博一さんの次の言葉が載っています。
――起業は一人ではできません。色んな人の技術や発想を束ねて、彼らのやる気を高めるには、マネジメントの力が必要です。マネジメントは人の気持ちがわからなければできませんから、経験がモノを言います。40代よりも、50代、60代と歳を重ねるほど有利ではないかと思っています。
そしてまた吉田さん曰く「私たちの社会は、どうしても同質性を求めがちですが、同じような考え方や行動をする人が集まっても、小さくまとまってしまいます。異質で尖った人たちを集めて、それぞれの良さや強みを活かしながら組織の力にしていくのが、マネジメントの役目」ということであります。
上記「マネジメントの力」とは一体何かと私見を申し上げれば、それは一言で一種の調整能力と言っても良いものかもしれません。例えば会社という組織は、年齢的にも経験的にも様々な人々の集まったheterogeneous(異種)な社会です。その組織にあって如何に多種多様な意見等を調整しながら、正反合(ヘーゲルの弁証法における概念の発展の三段階。定立・反定立・総合)の合あるいは正(命題)とも反(反命題)とも分からなくなってしまうが如き解に持って行けるかが、最も大事なマネジメント能力ではないかと思っています。
マネジメント力が仮にそういうものだとすれば、それをどうやって磨いて行くかと言うと、やはり中国古典『大学』にあるように「修己治人(しゅうこちじん)…己を修めて人を治む」ということでしかないのだろうと思います。今年7月のブログ『我を亡ぼす者は我なり』でも述べた通り、「全ての責任を自らに帰す」とは東洋思想の根本です。
之は、「君子は諸(これ)を己に求め、小人は諸を人に求む」(『論語』)、「大人(たいじん)なる者あり。己を正しくして、而(しこう)して、物正しき者なり」(『孟子』)という世界です。全ては身を修めることから出発し、それによって人を感化して、人を動かし世を動かして行く、といったことが所謂マネジメント力に繋がって行くのだろうと思います。
更に、マネジメント力が「40代よりも、50代、60代と歳を重ねるほど有利」というふうには私自身は思っていません。若い人がリーダーになっても、当然良いわけです。但し、その人は一種のバランス感覚及び調整能力を持ち、また人に「なるほどなぁ」と思わせるような力を有する必要性があります。それはもう、あらゆる事柄に対しての弛まぬ勉強でしかありません。教養を身に付け、自分の知恵を磨き、世の中の方向性を敏感に感ずるような先見の明を持つ――そういうことが合わさって、人のリーダーたるに相応しいわけです。
そして一たび人のリーダーとなったらば、持てるマネジメント力を大いに発揮して、一つの方向性を示し、全員を纏め導いて行くことが求められます。それは、年齢の問題ではありません。それは、若い時から己を修め人を治める学問をやってきたかということです。修己治人の学問を倦(う)まず撓(たゆ)まず、ずっと続けて行くことが大事なのです。
編集部より:この記事は、北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2020年11月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。