先日、映画『声優夫婦の甘くない生活』(2019年)を試写で視聴する機会があった。感想を記してみたい。
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1990年、イスラエル。
空港に到着した人々の中に主人公となる初老の夫婦の姿が見えてくる。ソ連からやってきたヴィクトルとラヤ。長旅で疲れ切った感じだ。2人は欧米映画の吹き替えで活躍した声優たちだ。子供はいなかったものの、スター声優としてキャリアを築いてきた夫婦は、第2の人生を開始するためにイスラエルにやってきた。
なぜイスラエル?そして、なぜソ連から?
謎を解く鍵は、当時、欧州で起きていた歴史的な事件にある。
雪崩のような東欧革命、ソ連は崩壊へ
第2次世界大戦(1939-45年)が終わり、今度は米国を中心とした資本主義陣営とソ連を中心とした社会主義陣営との対立となる、「冷戦」時代が始まった。
この対立によって、東欧圏から西側への往来に厳しい制限が付いた。
しかし、1998年の年明けから、社会主義圏を形成していた東欧ハンガリー、ポーランドで民主化への胎動が始まる。
当時、ドイツは東ドイツと西ドイツに分かれ、ここでも自由な往来が規制されていたが、東欧圏の民主化運動の拡大を受け、11月9日、東ドイツ政府が国民に西ドイツへの出国の自由を認めた。東ドイツから西ドイツへの人の流れが止まらなくなり、東西分断の象徴となったベルリンの壁を市民らが破壊するまでに至った(「ベルリンの壁」の崩壊)。
(東欧革命の帰結として、89年12月、米国とソ連は冷戦の終結を宣言する。ソ連内の共和国が次々と独立したことで、91年、ソ連自体が解体するという顛末を迎えてしまう。)
東欧革命の年となった1989年、ソ連も西側への出国制限を解除した。これを受けて、ソ連に住んでいたヴィクトルやラヤのようなユダヤ人の出国ラッシュが始まったのである。
東京大学大学院総合文化研究科准教授の鶴見太郎氏によると、ソ連内のユダヤ人の「多くはアメリカ行きを望んだものの、入国は困難だった」(映画解説資料より)。「一方、『ユダヤ人国家』を標榜するイスラエルはユダヤ人とその家族を歓迎する、一番行きやすい『西側』の国だった」。
こうして、2000年代までに累計120万人ほどがソ連・旧ソ連からイスラエルに移住したという。
慣れない生活で苦労する
ヴィクトルとラヤの話に戻ろう。ソ連では吹き替え声優として著名だった2人だが、イスラエルに来てみれば、「ただの人」である。
現地の言葉であるヘブライ語を新たに学ばざるを得なくなる。「祖国」と思って移住したイスラエルだが、「新参者」としてまともな仕事を探すのにも苦労する。
年金生活者になってもおかしくない初老の夫婦。移住した国でこまごましたことがうまく行かないことへの戸惑いと「こんなはずではなかった」という思い。でもそんな失望感を互いに話題にすることさえ、ためらわれる。「すべてを捨ててやってきた」と思うからこそ、言えない。自分たちの選択が失敗であったことを認めるのは、つらい。
この映画の監督エフゲニー・ルーマン氏も、自分自身が旧ソ連出身のユダヤ人でイスラエルにやってきた一人だ。自分の子ども時代の経験をもとに、友人で撮影監督のジブ・ヴェルコビッチ氏とともに脚本を書いた。
ヴィクトルを演じるのは、イスラエルのベテラン俳優ウラジミール・フリードマン。監督が当て書きした俳優だという。フリードマンの演技が素晴らしい。社会主義圏からやってきた高齢の男性。新生活に戸惑いながらも、プライドを呑み込みながら単純労働に従事し、心が傷つきながらもそれを外には見せない。しかし、大好きなイタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニの話になると、目が輝く。
妻のラヤを演じるのはイスラエルの女優マリア・ベルキン。きゃしゃな体に針金のような強さを持つ。ある出会いに遭遇したときのしたたかさも印象的だ。
そんな2人がいかにイスラエルの中で自分たちの居場所を築いていくのか。その道程をたどるうちに、笑ったり、ほろっとしたり。『声優夫婦の甘くない生活』はそんな映画だった。
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劇場公開は12月18日から。ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他
編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2020年11月30日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。