かつて、文部科学省の官僚が、座右の銘が「面従腹背」だと言ったことにびっくりした。教育行政のトップが、こんな4文字熟語を誇りにするのは、どの角度から見ても非常識だ。
しかし、昨今の政治を見ていると、国のためよりも自分のためを優先する政治が横行しているように見えてならない。あまりにも「滅公奉私」で、国の将来を本当に案じているのかといった本質的な疑念を覚えざるを得ない。
Go Toイートなど、結局利益を得ているのは、仲介手数料を稼いでいる業者で、現場の飲食業者など、急発進と急ブレーキの乱暴な運転に振り回されているようだ。モリカケ・桜・アベノマスクは誰のためのものだったのだろうか?
こんな横暴の前に、そして人事権を掌握されているがゆえに、官僚の抵抗手段は「面従腹背」しかなかったという意味であれば、この官僚の一言に合点がいく。
しかし、できれば、辞める前に直球を投げ返して、啖呵を切って辞めてほしかった。カーブを投げろと言われているのに、面従腹背で直球を投げると、監督は「ピッチャー交代」を告げるだろうが、スカッと勝負して三振を取ってから去るのも一つの生き方だ。
しかし、世の中は、変化球と隠し玉で成り立っている。正々堂々と直球勝負では生きていけないのが世間というものらしい。私はどんな場面でも直球しか投げないので、役所からは嫌われている。白は白で、黒は黒としか言わない。というか、言えないのだ。言葉のマジックで、どのようにも解釈できる灰色の文章を得意とする役所言葉は。私は苦手だ。「・・・・に留意する」は気には留めるが、実際には「何もしなくてもいい」という意味になる。「・・・・に努める」は「努力しようと試みさえすれば、できなくともいい」となる。
若かりし頃はもっと単純人間だった私は、「気に留めてくれる」「努力してくれるのだ」と喜んだものだが、長年付き合っていると隠された日本語の行間の意味がわかるようになり、年を取ってだんだんとひねくれた気持ちになり、公開の委員会などで、言質を取ろうとするので嫌がられてしまう。ある委員会で、「iPS細胞はがん化のリスクないのか」と尋ねた時には、課長が威嚇してきた。そして、最近は役所からはお呼びがかからない。
今の日本は、世界に誇ることができるような先進国ではなくなっていると言うと、言霊主義の人たちから、何と不吉なことを言うのだと、冷たく厳しい視線が飛んでくる。ユタ大学に留学していたころ、日本に対しては、東洋のスター国が世界の中心に躍り出ようとしているようなまなざしと尊敬の念があったが、今や、日本に対する尊敬の念など吹き飛んだような感じだ。その自覚がなければ日本の再興はない。いまや、明治維新前のころのアジアの小さな島国になってしまった感がある。
そして、悲しいことに、「坂の上の雲」の主役たちのような志のある若者の姿が見えない。「上っていく坂の上の青い天に、もし、一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂を上っていくだろう」、そんな若者たちが出てきてほしい。バルチック艦隊を打ち破ったのは幸運もあったが、偶然ではない。日本という国を愛するが故の積み重ねが必然をもたらしたのだ。政治に「滅私奉公」が見えない今、期待は坂の上の雲を目指して上っていこうとする若者たちだけだ。
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2020年12月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。