フランス:警察はなぜ「国民の信頼」失ったか

フランスで「警察」に対する国民の信頼が揺れている。同国の下院は先月24日、警察官の職権強化を目的とする「新治安法案」を承認したが、同法案に反対する抗議デモが先月28日、フランス全土で拡大し、パリでも10万人以上の市民がデモに参加したばかりだ。彼らは警察官の権限拡大に強い不信感と警戒心を感じている。

▲フランスの警察官(フランス内務省公式サイトから)

▲フランスの警察官(フランス内務省公式サイトから)

やり玉に挙がっているのは同法案第24条だ。現場の警察官の顔を公開することを禁止し、警察官の画像を「物理的、精神的に危害を加える目的」で…ソーシャルメディアなどに流して拡散することを禁止しているからだ。彼らは「言論の表現を蹂躙し、警察力の横暴を許す」として反対している。

同国で先月21日、黒人のプロデユ―サ―が路上でマスクなしで立っていたところを4人の警察官が視認。音楽家は急いで自分のスタジオに入ったが、4人の警察官はスタジオに入り、殴打など乱暴を始めた。そのシーンが動画に捉えられ、メディアに流れると、多くの国民が警察官の横暴を批判したのだ。また、パリの不法な難民キャンプのテント撤去作業が始まった時、警察官が難民に対し乱暴しているシーンが動画に撮られ、国民が知ることになった。「公平、平等、博愛」を国是とするフランスでは警察官の国民への乱暴な対応に怒りを発し、抗議デモが広がっていったことがある。

米ミネソタ州のミネアポリス近郊で5月25日、黒人男性が白人警察官に強く抑え込まれた末、窒息死させられたシーンがテレビに放映されたことを契機に、米全土で警察官の蛮行に抗議するデモが行われ、大統領選を控えていた米国で「ブラック・ライヴズ・マター運動(BLM)」が米全土に広がっていったことはまだ記憶に新しい。同じように大西洋を渡ってフランスでも強権を振るう警察官への抗議デモが起きてきたわけだ。米国やフランスだけではない。程度の差こそあれ同じような状況が欧米各地で起きている。

米国では警察官の強権行使にはっきりと「ノー」を言わないとして、トランプ大統領は白人主義者というレッテルを貼られ、リベラルな主要メディアから格好の攻撃対象となった。一方、フランスでは、「わが国は報道の自由ばかりか、冒涜する自由もある」と豪語し、イスラム教預言者ムハンマドの風刺画の掲載を擁護したマクロン大統領は警察官の横暴な対応を動画でみて「我々の恥だ」、「黒人音楽家への暴力はどのような理由があっても許されない」と非難するだけに留まっている。

抗議デモをする人々を見ていると、警察官は権力を守る「悪者」といった印象さえ受ける。それは事実に反している。国民の生命、安全を守るために命がけで職務に奉仕する警察官が多い。それだけではない。公務中の現場を撮られた警察官が後日、モビングされたり、家族が被害を受けたという報告もある。警察官は加害者ではなく、実際、被害者のケースが出てきている。

ドイツ西部トリーアで1日、乗用車が歩行者道路に突入して通行人を跳ね、幼児を含む5人が死亡、14人が重軽傷を負うという事件が起きた。暴走する車を止めたのはパトカーの警察官だ。命の危険にもかかわらず、暴走する乗用車にパトカーをぶつけて止めたのだ。暴走車が走り続けていたら、更に多くの犠牲者が出た可能性があった。自身の命を懸けて国民を守ったわけだ。警察官のこのような活動は報道されないだけで多くある。

未成年者への性的虐待をする聖職者は数的には少数派だが、教会は聖職者の性犯罪の巣窟のように受け取られることがある。事実ではない。同じように、数人の警察官の逸脱した言動が「警察官は恐ろしい」、「警察官は横暴だ」と受け取られるとしたら、これまた大きな間違いだ。

ただし、先述した黒人音楽家への暴力は職権限界を超えている。そこで警察官の活動を撮影し、必要ならば公表することで監視すべきだという意見が出る。その権利を禁止することは警察力の横暴を容認することにもなるという理屈だ。コントロールなき権力は腐敗するからだ。

フランスの新治安法案を例に挙げて考える。批判を受ける第24条は修正、削除してもいいのではないか。実際、フランス与党「共和国前進(REM)」の国民議会(下院)議員団団長を務めるカスタネール前内相は11月30日、記者会見し、下院で可決した新治安法案の一部修正の意向を表明している。

第21条には公務中の警察官は「ボディ・カメラ」をつけて職務に従事することを正当化する内容が記述されている。警察官が職務中にあった人、話した人を全てカメラが撮影するから、理由なき暴力を行使すれば、その警察官は規律違反として制裁を受ける。「ボディ・カメラ」を止めたり、動画ファイルを消去した警察官は後日、上司に説明する義務が出てくる。そうなれば、警察官以外の第3者が警察官の横暴を知らせるために撮影する必要はない。ただし、警察官の「ボディ・カメラ」に顔認証システムを導入するか否かで議論を呼ぶ可能性はある。

要するに、第24条を削除し、第21条を施行すれば抗議デモ参加者の期待に応えることができる。ただし、極左過激主義者「アンティファ」のような集団は自分たちの暴力が警察官のボディ・カメラで撮影されるから、反対するかもしれない。ちなみに、「新治安法案」第22条ではドローン(無人機)を利用して大規模なデモ集会などを上から撮影することが記述されている。

独の市場調査機関GfKの「2013年グローバル・トラスト報告」によると、ドイツ人が最も信頼する機関は警察で約81%、それに次いで司法65%、非政府機関(NGO)59%、公共行政機関58%、軍57%だった。秩序と規律を愛するドイツ国民らしい結果だ。ただし、ドイツでも今日、抗議デモと警察官の衝突が頻繁に起きているから、警察官の信頼は揺れているが、国民一般の警察官への信頼は変わらないのではないか(「ドイツ人は「警官」を最も信頼する」2013年2月11日参考)。

欧州では2015年、中東・北アフリカから100万人以上の難民・移民が殺到し、大混乱が生じた、同時に、フランスではイスラム過激派テロ事件が多発し、多くの犠牲者が出た。その結果、公道や公共施設への警備強化のために警察官のプレゼンスが増えた。フランスでは2018年、281人の国民に対し1人の警察官の割合だった。その割合は今日、150人に対し1人の警察官だ。警察官のプレゼンスは犯罪防止にプラスだが、国民と警察官の間でいがみ合いや衝突が生じるケースも出てくる。「国民に信頼される警察官」はどの国の警察官にとっても重要なモットーだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年12月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。