新型コロナの新規陽性者数が、ほぼ横ばいの状態が続いている。あるいは一進一退といってもいいだろう。増加圧力を押し戻す鈍化の傾向が11月半ばからは続いていることを私は観察してきたが、新規陽性者数の減少にまでも持ってくることができない足踏みのような状態が続いている。高止まりと言ってもいい状態でもあるわけなので、ほんの数パーセントの増加でも「過去最高」の数になったりするのがニュースになっている。実際には、一進一退である。
この状態で苦闘しているのが、Google AI予測だ。11月17日にデビューしたGoogle AI予測には、毎日修正が入っている。どういうわけか、いつも2日前のところを現在値にして予測の修正がなされるので、報道と照らし合わせると、直近2日間の予測が、「どう外れたか」がすぐに分かる仕組みになっている。
毎日の予測がぴったりとあたることはほとんどないので、厳しく言えば、常に外れ続けているわけである。むしろ大きなトレンドの予測だけを見せるために、週に一度程度くらいの頻度でだけ、修正を加えたらいいのではないかという気もするが、そうはなっていない。そこで毎日の更新の中で、面白い現象も起こった。
予測は、11月17日に、図のような曲線を描いて、28日間で死者555人、新規陽性者51,605という数字で始まった。11月17日~12月9日の23日間の死者数は552人なので、当初の予測は過小気味であったかもしれないが、だいたいの大きなトレンドは捉えていたのかもしれない(現在の一日当たり死者数は7日間平均で35人程度)。11月17日~12月9日の23日間の新規陽性者数は47,769人である。これについても当初の予測は過小気味であったかもしれないが、ほぼ大きなトレンドを捉えたものであったのかもしれない(現在の一日当たり新規陽性者数は7日間平均で2,300人程度)。
ところが、実際の死者数と新規陽性者数の増加は、28日間の数字の近似にもかからわず、Google AIが予測した曲線にそって進んだわけではなかった。そのため日々の修正の中で、Google AIは何度か大幅な予測変更を行っている。私がそのことに目を止めたのは、12月4日だ。その日の予測は際立っており、かなり変則的であった。
死者数は減少し始めると予測しているのに、新規陽性者数は大幅に上昇し続け、年末には一日1万7千人、日によっては2万人を超える日もあると予想したのだった。さらに目を見張ったのは、大阪の甚大な被害の予測であった。
大阪では、死者数は30人にとどまるが、新規陽性者数は127,000人という大きさになると予測されていた。これは東京のそれぞれ27人と36,166人と比べても、圧倒的な新規陽性者数の多さであった。
Google AIは各都道府県ごとに予測を出すが、少しの評価の違いが、普通では説明不能にしか見えない変則的な差を生み出してしまうようだ。
果たしてGoogle AI予測に、人間的な介入が働いたのだろうか。翌日の12月5日には大幅に修正された予測が映し出された。
死者数は、上昇し続ける曲線へと上方修正された。新規陽性者数は、なだらかな曲線に変わり、年末になってもせいぜい一日3,000人を超える程度の水準に上がるだけだと下方修正された。
なぜたった一日でこのような大幅な修正が行われるのか。予測には説明や解説が付されていないので、全くわからない。
しかし同じような現象は何度も起きているように見える。12月8日の予測は次のように、再び死者数が減少する一方で、新規陽性者数は増加し続けるというものだった。死者数は、前日の7日までは一貫して上昇し続けるという予測だったが、8日になって突然減り始めることになった。
ところが9日にはもう横ばいが続くという予測になってしまった。
ちなみに最新の12月10日の予測では、いつのまにか大阪の新規陽性者の予測は軽減され、東京のほうが2倍以上の新規陽性者を出すという予測に変わっている。ただし死者数は大阪のほうが多くなるらしい。
私は、感染傾向に、あたかも物理学の法則のようなものが働いているかのように見ようとする人々には、懐疑的な気持ちを持っている。感染は、人間的な営みで起こってくるものだ。人間的な動向の変化で、傾向は変わる。新規陽性者の推移に、宇宙の運動法則のようなものを見出そうとするのは無理ではないかと思っている。
その意味では、Google AIのように、常に柔軟に予測を修正し、絶えず現実の動きから学び続けようとする姿勢は、評価されるべきものだ。
しかし、それにも程度がある。毎日、毎日、あまりに激しく予測が動くと、一つの仮説的な予測としての意味も失われてくるのではないか。たった一日で消滅してしまう予測でしかないならば、いったい誰がその予測を指針にして政策を考えるだろうか?
Google AI予測が、これからどういう発展を見せていくのか、興味を持たざるを得ない。