山中教授の「ファクターX」に踊らされていいのか

篠田 英朗

先日、Yahoo!ニュースで、面白い光景を見た。「ファクターX」を否定する記事と、「これがファクターXだ」と論じる記事とが、ほとんど並んでいたのである。

私は、「ファクターX」のような仮説には、興味がない。科学者ではないので証明する手段を持っていないのが一番の理由だが、「ファクターX」なる概念が出てきた経緯である統計の読み方に信ぴょう性を感じることができないのも理由だ。

山中伸弥・京都大学教授は、執拗に「ファクターX」について語り続けている。仮説を科学的に証明してくれるのは勝手に早くやってくれればいいのだが、「ファクターX」の根拠としていまだに「日本は何らからの原因(ファクターX)で、これまで死亡者が欧米に比べてはるかに少なく済んできました」を理由にしているのは、どういうことなのだろうか。

日本医療研究開発機構HPより引用

こんな根拠薄弱な理由で、人命もかかる政策に何らかの影響を与えようと執拗に「ファクターX」を発信し続けていて、本当に大丈夫なのか。何かおかしな偏見にとらわれていないだろうか。心配になる。

少なくとも、以下の点は、確認しておいてもらいたい。

  1. 「欧米」の「致死率」は春先に異常値を示していたが、現在はほぼ世界平均水準になってきている。<春先の欧米の致死率が異常だっただけ。>
  2. 「欧米」よりも人口当たり死亡者が少ないのは「アジア」だけでなく、「アフリカ」や「オセアニア」も低い。
  3. 日本の致死率・人口当たり死亡率は、「欧米」より低いだけで、アジア・アフリカ・オセアニアの中で際立って低いわけではない。
  4. 一定期間、低水準の人口当たり死亡者を記録していた国が、突然死亡者を増加させることは大いにありうる。その国における感染拡大に応じて死者が少なかったり増えたりするだけだと考えるのが自然。
  5. 感染拡大は、人間的な事情で動いているように見える。

以下、一つ一つ見ていってみよう。

1. 「欧米」の「致死率」は春先に異常値を示していたが、現在はほぼ世界平均水準になってきている。<春先の欧米の致死率が異常だっただけ。>

私はこれまで何度か、世界の感染状況を概観する数字を一覧にしてきている。たとえば、6月中旬の時点での新型コロナの被害は、ここに記録しておいた。(6月16日)

当時、ヨーロッパ全体の致死率(陽性者総数に対する死者数の割合)は、8.25の異常値を示していた。特に、北欧12.13、南欧10.77、西欧11.20は、世界的に異常な高率であった。北米5.56、中米9.53、南米4.24であった。

次に10月初頭の記録を見てみよう(10月1日)。ヨーロッパ全体の致死率は4.39、北欧7.83、南欧5.57、西欧4.99、北米2.90、中米7.69、南米3.13である。

この動きは現時点に至る時期までも、はっきりと続いている。12月14日の記録は、末尾に記しておくが、ヨーロッパ全体の致死率は2.30、北欧2.99、南欧2.78、西欧2.09、北米1.86、中米6.76、南米2.84である。中米を除き、軒並み2%台(以下)という世界標準レベルに下がってきている。

つまり同じ欧米社会であっても、新型コロナで高率で死者が出たり、少なかったりするのである。どう見ても、無理な封じ込めを狙ってかえって医療崩壊を起こして高率の死亡者を出してしまった春先のヨーロッパの数値が異常だっただけである。医療崩壊を回避し、高齢者・基礎疾患者を特別に防御する社会的風潮さえできあがれば、欧米社会でも致死率は劇的に減らせるのである。

こうした政策的事情を度外視して、「ファクターX」があるなどと執拗に神秘主義的主張を繰り返すことに、どんな統計上の根拠があるのか、私には全くわからない。

2. 「欧米」よりも人口当たり死亡者が少ないのは「アジア」だけでなく、「アフリカ」や「オセアニア」も低い。

Feodora Chiosea/iStock

致死率だけ見ると、検査数を増やすと致死率が下がってしまうので、信用できないという人がいる。日本のPCR検査数が少なすぎるというテレビのワイドショーの主張に真正面から影響されただけの印象論と思われるが、少なくともアジア全域で検査数が抑えられているという経緯はない。

SARSの経験などもあるアジアで対応策が素早く、また徹底しているため、感染拡大が防がれている、と考える方が、どう考えても自然であり、それをどうしても否定しなければならない理由はどこにも見つからない。

実は人口当たり死亡者数が低いのは、日本だけでも、アジアだけでもない。欧米以外では、どこも低い。アジア全域の人口100万人あたり死者数は、現時点で67.44人で、確かに欧州や米州よりも非常に低い。しかしアフリカは、42.47人で、さらに低い。オセアニアは30.61人で、さらにいっそう低い。日本だけが低いわけでも、アジアだけが低いわけでもない。欧米以外はどこも低いのである。

オセアニアは、一番被害を出しているオーストラリアを除けば、小さな島嶼国から構成されている。感染路を遮断しやすい。致死率は3.10だから、どう見ても、単純に感染拡大を防いでいるので、死者数も少ないだけである。アフリカについて言えば、農村部などで検査ができない傾向があり、絶対数が少なめに出ている可能性は高い。

それにしても欧米の状況を見て早期に国境閉鎖したこと、若者人口比率が高いこと、過疎地域では感染拡大しにくいこと、そして感染症慣れしているのでマスクの普及率などを見ても人々の行動変容が進んでいることなどの要因が働いた、と考えるのが自然である。少なくともそれらを否定しなければならない事情など何もなく、「ひょっとしたらアジアだけでなく、アフリカにも、オセアニアにも、ファクターXがあるのか!」などと言わなければならない事情などない。

結局、春先に異常値を示した欧米の死者数が今でも高く(死者数は累積するだけで減らない)、冬になってもやはり追加的に高い死者数が出ているのは、感染拡大が比例して起こっているからである。どこにも神秘的な事情などない。

3. 日本の致死率・人口当たり死亡率は、「欧米」より低いだけで、アジア・アフリカ・オセアニアの中で際立って低いわけではない。

「ファクターX」論によると、世界で日本だけが感染しにくく、死亡しにくいのだという。全く根拠がない。

現在の日本の100万人あたり陽性者数は約1,400人、100万人あたり死者数は約20人、致死率は1.45だ。世界的には良好な水準だが、特に際立って圧倒的に少ないというほどではない。東アジアの中では成績が悪く、東南アジアより少し成績が良い程度である。人口が1億人2千万人いることを考えれば、これでも健闘していると言うべきだが、何か神秘的な力と言わざるを得ないものが働いているとまで主張するのは、大げさすぎる。

Johnson/flickr

アフリカは、それぞれ100万人あたり陽性者数約1,800人、100万人あたり死者数約42人、致死率2.36であり、オセアニアは同陽性者数約988人、同死者数約30人、致死率3.10だ。日本はこれらと比べて特別に際立って優れているわけではない。

ヨーロッパ全域で人口約8億2千万、米州全体で10億2千万人程度だ。世界人口の4分の1にも満たない。なぜ世界人口の2割ちょっとの特定の人々と比べて死者数が少ないと言うだけの理由で、「日本には何かすごい神秘的なファクターXが働いている」になるのか、全く理解できない。

世界の4分の3以上の大多数の人は、世界に存在していないに等しい、と断定する理由は、いったい何なのか。そんな人たちと日本を比べてはいけない、日本はただ世界の2割少しだけの欧米の人たちとだけ比べなければいけない、と命令する理由は、いったい何なのか。

4. 一定期間、低水準の人口当たり死亡者を記録していた国が、突然死亡者を増加させることは大いにありうる。その国における感染拡大に応じて死者が少なかったり増えたりするだけだと考えるのが自然。

それでも、どうしても死者数が少ないのは、政策的な感染拡大抑制によるものではなく、何かもっと別の神秘的な理由によるものでなければならないという信仰を持つ科学者の方々には、また別の難問を解いてほしい。

国単位で見てみると、かつて今の日本と同じ程度の人口当たり死者数であった国は多々ある。わかりやすいので、6月時点の「東欧」を見てみよう。100万人あたり陽性者数が約2,410人、100万人あたり死者数が約42人、致死率が1.77だった。当時の東欧の水準は、現在の日本に近い。

今、東欧はどうなっているか。そこから半年ほどたったので、3倍くらいの数字になっただろうか?そんなものではない。同陽性者数約22,153人、同死者数約410人である。実に陽性者数も死者数も10倍近くまで増えた。致死率は1.85とほとんど変わらないので、感染拡大が起こり、それに比例して死者数が増えただけである。

もっと優れてウイルスの侵入を防御し続けていた中央アジア諸国も、冬になって力尽きた格好で、感染拡大を起こした。6月時点で中央アジアの100万人あたり陽性者数は約401人、100万人あたり死者数約2.5人、致死率0.65という驚異的な成績だった。日本など全く眼中にない圧倒的な成績だった。しかし現在は、同陽性者数約4,511人、同死者数約60人、致死率1.33と、世界標準レベルになってきている。

同じような傾向は、東南アジアのミャンマーやネパールなど、当初は早期の国境閉鎖でウイルス侵入を防いでいたが、決壊したとたんに被害を出した国々でも確認できる。6月時点でミャンマーは同感染者数4.82人、同死者数0.11人という驚異的な成績であった(致死率 2.29)。現在は、同感染者数約2,013人、同死者数約42人という被害になっている(致死率2.09)。6月時点でネパールは、同感染者数約213人、同死者数0.65人、致死率0.31という驚くべき数字であった。現在では、同感染者数約8,564人、同死者数約59人という被害を出している(致死率0.69)。

なぜ東欧や、中央アジアや、ミャンマーや、ネパールには、「ファクターX」が日本よりももっとすごいくらいに効いていたのに、今は効かなくなってしまったのだろうか?と言う問いは、ほとんど魔術師のような問いだ。単にウイルス侵入を当初は防げていたが、その後に決壊してしまっただけだ。神秘的な事情など何もない。

5. 感染拡大は、人間的な事情で動いているように見える。

最後に付け加えておきたい。世界各国で、ロックダウンすれば感染拡大が止まり、行動変容をとれば感染拡大が抑制され、何もしなければ感染拡大が加速する傾向が確認されている。日本にも例外的な事情は何もない。

どう見ても、感染拡大の増減は、人間的な事情で進展している。科学者だけが知っている不思議な「ファクターX」を持ち出して説明しなければならないような事情など、どこにもないようにしか見えない。

(12月14日時点の世界の新型コロナ被害状況)

地域 準地域 感染者数(/mil) 死者数(/mil) 致死率(%)
日本   1,401.50 20.25 1.45
アフリカ 1,802.36 42.47 2.36
北アフリカ 3,404.94 92.28 2.71
東アフリカ 796.80 12.42 1.56
中部アフリカ 469.10 8.90 1.90
南部アフリカ 13,329.09 350.55 2.63
西アフリカ 578.56 8.07 1.39
米州 30,696.04 776.67 2.53
北米 46,652.29 867.57 1.86
カリビアン 21,653.09 725.16 3.35
中米 10,553.20 713.85 6.76
南米 27,793.70 789.79 2.84
アジア 4,138.51 67.74 1.64
中央アジア 4,511.03 60.08 1.33
東アジア 191.75 4.79 2.50
東南アジア 1,994.82 45.72 2.29
南アジア 6,336.86 111.28 1.76
西アジア 16,608.08 186.23 1.12
ヨーロッパ 25,029.02 576.14 2.30
東欧 22,153.72 410.24 1.85
北欧 17,884.40 534.33 2.99
南欧 32,126.63 892.91 2.78
西欧 29,069.17 608.90 2.09
オセアニア 988.57 30.61 3.10