仕事の中での男女差

岡本 裕明

オリジナルの雇用機会均等法が成立したのは1985年、それ以降35年に渡り、様々な形で男女均等政策が進められてきたのですが、結果だけ見れば世界に比べて日本は遅れているとされます。例えば女性の役員の比率は5%にも満たないのはなぜだろうと思いませんか?

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そもそも雇用機会均等法は待遇や処遇が男女格差なしですよ、というものであって女性の立場が不平等に扱われていればそれを修正し公平にしましょう、ということです。それ故に、公平になったから必ずしも女性の役員が増えるというロジックにはなりません。

いわゆる企業人は社内での出世競争において男女共に平等に戦うわけですが、ハンディがない女性の方が不利になるという見方だってできなくはありません。ゴルフだって女性は赤ティーを使う人が多いのは体力差のハンディがあってのこと。男女格差をなくすというのは社会的政治的な平等意識であって生物学的には差があるのは致し方ないところであります。

では日本の女性は強くなったのか、と言えば二極化が目立ってきたような気がします。本気で頑張っている女性が増えてきた半面、堕落してしまった女性も増えた気がします。統計がないので感覚的ですが、そんなに外していないと思います。

理由は何でしょうか?女性の社会進出という言葉が重かったのではないかと思っています。それが叫ばれたころにはすべての女性にチャンスが廻ってきたのですが、いざ、そこで勝負を挑めばなかなか成果が上がらない、あるいは勝負を挑むことすら諦めてしまった人もずいぶんいらっしゃいます。「ガラスの天井」なんて言いますが、私に言わせれば目の前の自動ドアが開かなくてぶつかったようなものであります。

批判を承知で言えば、女性の社会進出への精神的移行がまだまだ十分に育っていないからと考えられないでしょうか?女性がどう生きるべきかを学ぶのはまずは母親です。自分の母親の生き方、考え方をみて自分もそれを真似ながら自分なりのスタイルを構築します。

よって政治家が「今日から女性の社会進出です、企業は女性の役員を増やしましょう」と言っても潜在的人数がそもそも全然育っていないのなら掛け声倒れにならざるを得ないのです。

ではどれぐらい時間がかかるか、と言えば私は3-5世代ぐらいは要するとみています。今はまだ2世代目から3世代目に入るところですから欧米並みになるにはまだ数十年かかるかもしれません。アメリカはなぜうまくいったかと言えばベトナム戦争で男が足りなくなったことが主因のひとつであります。その点からいえば終戦後、日本の女性は強かったんじゃないでしょうか?

とはいえ、女性に対する社会的位置づけが変わってきてるのは確かです。例えば全国の短期大学が次々と閉鎖されています。日本における短期大学の社会的認識があまりにも「性別意識を伴うもの」であったことは否めません。これが修正されていることは喜ぶべきことでしょう。

次にコロナでオンライン業務になって一番打撃を受けたのは誰か、と言えば企業の一般職ではないかと察しています。一般職は総合職の人の支援が主体になりますが、オンラインとなれば物理的な支援が激減してしまいます。よってその多くを占める女性も企業での活躍を目指すには総合職か、限定的総合職(地域限定、職務限定など)など男性と同じ地位での役割がいよいよ求められることになります。

これは結構なのですが、私がいつも気にするのはそれ以外の方。「仕事が出来るオンナ」はごくごく一部であります。感覚的に過半以上を占めるであろう他の方々がどうキャリアアップを図るか、ここを補強する必要があります。

海外にいて直ぐに思うことは2つ。

1つは前近代的な夜のビジネスを一気に制限し、安易な生き方を締め出すこと。これは実はものすごく簡単な方法があり、営業許可を限定できる法制化を各都道府県で進めればよいだけです。

2つ目は女性向けの生涯教育と社会人としての暴風雨に耐えうるプロフェッショナル教育を学校時代から進めることであります。それはメンタルな強さであり、自分の足でしっかり立てる女性を育てる具体的プログラムをきちんとプランすることが重要ではないかと思います。

海外では女性が強い背景は宗教的背景もあると思います。儒教とイスラム教は性別差が出やすい半面、キリスト教、ユダヤ教は出にくいと思います。また体力的能力を要するものは男性、頭脳や緻密さ、正確さを求められるのが女性という棲み分けがある程度あり、女性がのびのび仕事が出来る環境があることは特筆すべき点かもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年12月26日の記事より転載させていただきました。