なぜ、リベラルは「緊急事態宣言」を求めるのか? --- 川畑 一樹

寄稿

緊急事態宣言の検討を表明した菅首相(1月4日、官邸サイトより:編集部)

1月4日時点で、関東1都3県に緊急事態宣言を発令することが極めて濃厚になっている。これに対し、立憲民主党などの左派系政党も緊急事態宣言を出すことを肯定的にとらえている。それどころか、積極的に緊急事態宣言を出すことを求めている。

「リベラル」とも呼ばれる左派は従来、基本的人権を大幅に制約する法案(憲法改変における非常事態条項の盛り込みなど)に反対の立場をとっていた。にもかかわらず、なぜ、移動の自由や集会の自由など基本的人権を大幅に制限する側面を持つ緊急事態宣言に積極的立場をとるのか。理由としてはいくつか考えられるが、本稿では2つあげたい。

1つ目は左派の持つ「公正」な政策観である。ここでいう「公正」とは辞書に示してある定義とは異なり、弱者保護の側面が強い。「公正」な政策として、弱者保護のための逆差別(アファーマティブ・アクション)的な政策、例えば高齢者・障害者・子育て世帯への重点的な公的支援を掲げることがあげられる。

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この際、弱者保護のためにその他の人の権利を部分的に規制することが是認されやすい。例えば保育園や幼稚園の騒音問題で、弱者の子供が遊ぶ権利を擁護するために周辺住民の環境権(静穏権)を制限することを是認することがその典例である。

この話を緊急事態宣言に敷衍してみよう。まず、高齢者や基礎疾患がある人が今回のコロナ禍で弱者となる。そして弱者を保護するために、その他の人々の移動の自由や集会の自由といった権利を制限するという図式が成り立つ。

2つ目は左派のゼロリスク志向の強さである。これは従来、特に環境問題において強くみられた。一番代表的な例としては福島第一原発事故後の年間あたり被ばく線量にかかる議論である。一般的に年間の被ばく量が100ミリシーベルトを超えなければ人体への悪影響は確認されないといわれているが、左派はそれをはるかに下回る数値(年間1ミリシーベルト)に抑えるよう主張している。

これ以外にも食品添加物や電磁波、化学物質などに関する議論でも左派はゼロリスクベースの主張を行っている。そしてゼロリスク志向の特徴としては、リスクを過大評価することがある。今回のコロナ禍においても、感染リスクをゼロに近づけたいという左派のゼロリスク志向が見え隠れする。同時に毎日新聞などのリベラル系メディアにおいても、コロナ後遺症を大々的に取り上げるといったリスクの過大評価が見受けられる(『毎日新聞』名古屋版/2020年7月21日夕刊)。

以上の2点を鑑みた場合、基本的人権を制限する法案に今まで反対してきた左派が、基本的人権を大幅に制約する緊急事態宣言を積極的に発令するよう呼びかけることへの説明がある程度はつく。

しかしそれは、2つの大きな問題点を抱えているといえる。

1つ目は「公正」な政策を実施するにあたり、弱者以外の人の権利を「部分的に擁護する」という方向には結び付きにくく、オールオアナッシングという議論で進められてしまうということである。例えば保育園の騒音問題の場合、周辺住民のために防音対策を行い弱者である子供以外への権利にも配慮しましょうという議論は発生せず、弱者のためなら権利は制限されてしかるべきという、権利があるかないかという議論に収斂してしまうことが考えられる。

今回のコロナ禍においても、集会の自由や移動の自由を最大限尊重しつつも弱者である高齢者や基礎疾患の持つ人に最大限配慮するという議論は生まれず、単に国家による権利制約を是認することとなった。前回の緊急事態宣言では幸いにして、集会の自由や移動の自由などに対する全面的な弾圧は行われなかったが、もしこれが諸外国のような強権的弾圧を伴うものだった場合、左派が2015年の安保法案採決騒ぎの時に金科玉条のごとく取り扱っていた集会の自由(デモの自由)を、自らが率先して唾棄するという異様な状況になっていたであろう。

2つ目は、権利制約の正当性が担保される基準が不透明なことである。先述のとおり、左派は憲法改変における非常事態条項に対しては、基本的人権を制限するという理由から反対の態度を示してきた。非常事態条項の非常事態に該当する例として、武力衝突やテロなどの有事、あるいは大地震などの自然災害があげられる。

一方で今回のコロナ禍においては、基本的人権を同じく大幅に制約する緊急事態宣言の発布に積極的である。これは、いうなれば感染症の場合は権利制約の正当性が担保され、有事や自然災害の場合は権利制約の正当性が担保されないということを示している。

つまり、権利制約の正当性が担保されるか否かの基準が著しく不透明である。非常事態ならいかなるときであっても権利制約ができると考えるのなら、今回のコロナ禍のような感染症のみならず、有事や自然災害の時も権利制約に賛同しないと筋が通らない。その権利制約の正当性が担保されるかどうかの基準が不透明なことは、左派に対する疑念や不信感を有権者が募らせる結果になるのではないか。

左派が国民の基本的人権を大幅に制限する緊急事態宣言を出すのに積極的なのは一見すると不可解に映るが、左派の理念を読み解いていくと、必ずしも行動原理と矛盾するものではない。他方でそれは、弱者以外の権利の部分的擁護という議論には結び付きにくく、権利制約の正当性が担保される基準が不透明という大きな問題をはらんでいる。その問題と対峙するのかしないのか、リベラルの意識が今、問われている。

川畑一樹 フリーの社会学研究者
1991年・熊本県生まれ。中央大学文学研究科修了(修士:社会情報学)。シンクタンク勤務を経て現在に至る。