政府はカーボンニュートラルの「値札」を国民、産業界にきちんと示せ

有馬 純

2020年はパリ協定実施元年であるが、世界はさながら「2050年カーボンニュートラル祭り」である。

パリ協定では産業革命以後の温度上昇を1.5度~2度以内に抑え、そのために今世紀後半に世界全体のカーボンニュートラルを目指すとされていたのが、グレタ・トウーンベリという巫女が出現し、グテーレス国連事務総長が各国に2050年ネットゼロエミッション目標コミットを奨励した結果、今や1.5度、2050年カーボンニュートラルがデファクトスタンダードになってしまった。

(写真AC)

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2050年ネットゼロエミッションをかかげる国は2019年9月時点では約60か国から、2020年9月には120か国超に倍増した。

パリ協定締結以降、コロナが世界を席巻する世界の排出量は最高値を更新し続けた一方、目標だけはますます尖鋭化し、現実とのギャップは開くばかりである。

 

「バスに乗り遅れてはならない」なのか

そうした中、10月末に菅総理が2050年ネットゼロエミッション目標を打ち出した。前年6月にパリ協定に基づく長期戦略で80%目標を打ち出してからわずか1年余り後のことだ。

欧州ではフォンデアライエン委員長の下で2050年ネットゼロエミッション目標が早々と打ち出された。昨年9月の国連総会ではコロナ、香港、戦狼外交等で国際的評判を落とした中国が汚名返上とばかり2060年ネットゼロエミッション目標を打ち出した。

米国の次期バイデン政権も2050年ネットゼロエミッション目標をかかげ、政権発足後に気候サミットを主催し、主要国に目標引き上げを迫るとしている。2021年には英国でD10、イタリアでG20、英国でCOP26が開催され、気候変動が繰り返し取り上げられる。「バスに乗り遅れてはならない」と菅総理が考えても不思議ではない。

問題となるコスト

「高い目標を掲げるのは良いことではないか」と言う向きもあるだろう。問題はそのコストである。

筆者が主催する研究会で日本エネルギー経済研究所と協力して再エネ、水素、CCS、原子力等の脱炭素技術を総動員して2050年80%目標を最小費用で達成するモデル分析を行ったが、全ての技術を動員した基準ケースにおいても限界削減費用は現行の26%を前提とした2030年時点でトン当たり8000円弱のものが、2040年には約3万円に、2050年時点で6万円と、2030年以降急速に上昇するとの結果であった。

これを90%まで引き上げると2050年の限界削減費用は一気に3倍超の20万円近くに上昇し、モデルで解が出せる95.3%になると10倍の60万円になる。

コスト数値はモデルの前提条件に左右されるのだが、ここで重要なのは80%削減目標の下でも限界削減費用が2030年以降、急速に上昇すること、80%目標を更に引き上げれば3倍~10倍と非連続的にコストが上昇するということだ。カーボンニュートラル表明にあたってこうしたコスト検討が行われた形跡は全くない。

経済成長の制約やコストにならない形で賢く温暖化対応をしなければならない

12月末に発表された「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」では「温暖化への対応を経済成長の制約やコストとする時代は終わり、経済と環境の好循環を作っていく産業政策がグリーン成長戦略である」とされている。

しかし国益がぶつかる温暖化交渉の最前線で戦ってきた筆者の目から見れば、ナイーブに過ぎると思う。温暖化対策を深堀りするほど経済が成長するのであれば温暖化問題などそもそも生ずるわけがない。

「再エネが安くなって事情が変わったのだ」という向きもあろうが、それならばなぜ未だに再エネに巨額の補助が必要なのか。温暖化対策コストは国によって異なり、温暖化コストの高い国から低い国への産業移転が生ずるリスクは現実のものである。だからこそEUは野心レベルの引き上げに並行して国境調整措置を導入しようとしており、バイデン政権も類似の政策を公約に掲げている。

しかし、これには中国、インド、ロシア等が強く反発しており、貿易政策と温暖化政策の融合が容易に実現するとは思えない。要するに「温暖化対応が経済成長の制約やコストとする時代は終わった」のではなく、「経済成長の制約やコストにならない形で賢く温暖化対応をしなければならない」という方が正しい。各国の経済・財政がコロナで大きく傷ついている中、この要請はますます強まるだろう。

FITで起きたメガソーラーバブルと同じ過ちを犯すだけだ

筆者は長期の脱炭素化に向けて重要なのは排出削減目標ではなく、それを可能にする革新的技術の技術目標(性能、コスト)であると主張してきた。

グリーン成長戦略では2050年カーボンニュートラルにつながる洋上風力、燃料アンモニア、水素、自動車・蓄電池、カーボンリサイクル等、14の重点分野について2050年に向けた性能、導入量、価格、CO2削減量について目標値を設定している。技術の性能、コスト目標を設定していること、企業のイノベーション努力支援のための基金、税制上の措置等は評価できる。

他方、戦略では参考値とはいえ2050年に発電量の再エネシェア50~60%、洋上風力導入量2030年10GW、2040年30-45GW、2030年代半ばの乗用車新車販売率の電動車100%といった特定の導入量目標が掲げられている。これらを一人歩きさせることは禁物だ。

再エネの中で特筆大書されている洋上風力のコストは浮体式のFIT価格が36円、着床式の入札上限価格が29円と、太陽光(住宅用21円、事業用13円)に比して相当に高い。2030-35年に8-9円/kwhというコスト低減目標が掲げられているが、日本の洋上風力が、風況が安定的に良好な欧州地域のような高い設備利用率を得られるとは考えられず、国際価格への収斂は極めて難しいだろう。そうした中で2030年10GW、2040年30-45GWという導入量目標のみが独り歩きすれば、補助コストの急増につながり、FITで起きたメガソーラーバブルと同じ過ちを犯すだけだ。

製造業が疲弊すれば、不確実性の高いイノベーションへの投資も望めない

2018年の第5次エネルギー基本計画や2019年の長期戦略では技術、地政学、地経学上、様々な不確実性があるとの理由で2050年のエネルギーミックスについて具体的な数字を出してこなかった。2030年目標が積み上げによるtarget, 2050年目標が野心的な複線シナリオに基づくgoal と両者の性格を差別化したのもそれが理由だ。今回の成長戦略では特定のエネルギー源のシェアや導入目標を示すことにより、2050年目標が2030年目標に「滲みだして」きている。

2050年カーボンニュートラルを掲げれば、欧州やバイデンの米国が「褒めてくれる」と思うのは甘きに過ぎる。先日、バイデン陣営に近い専門家と意見交換をする機会があったが、「日本の2050年カーボンニュートラル目標を多とするが、現在の2030年目標はそれと整合していない。2030年目標の引き上げを求めることになるだろう」と明言していた。

国内で2050年カーボンニュートラル目標を唱道してきた環境派の人たちの狙いは2050年の閂を先にかけ、そこから逆算して2030年目標を引き上げさせる、しかも石炭火力と原子力をフェーズアウトに追い込み、再エネのシェアをどんどん引き上げるというものだ。これは電力コストの大幅上昇、製造業の疲弊、雇用の喪失といった日本経済自殺のシナリオである。結果、温室効果ガスは確かに減るだろうが、そんなものは「経済成長と環境の好循環」ではない。製造業が疲弊すれば、不確実性の高いイノベーションへの投資も望めない。

原子力再稼働や運転期間の延長は費用対効果の高い施策

2050年カーボンニュートラルというこれまでとは次元の異なる目標を掲げるならば、確立された脱炭素技術である原子力について「可能な限り依存度を低減」という方針を見直すべきだ。

原子力再稼働や運転期間の延長は新規の洋上風力導入に比してはるかに費用対効果の高い施策である。グリーン成長戦略にも次世代原子炉開発への言及はあるが、新増設について口をつぐんだままでは民間企業がやる気を出さないだろう。

ドイツのように脱原発をかかげた国はあるがEUワイドでは原発新設オプションは堅持されており、バイデン政権も原子力を含め、使える脱炭素技術は総動員する姿勢だ。日本のように国内資源もなく、国際連係線も有さない国が、野心的な目標をかかげつつ、その実現手段を自ら制限するのは愚の骨頂である。

戦略には「2030年で年額90兆円、2050年で年額190兆円程度の経済効果が見込まれる」といった結構ずくめの数値が示されている。おそらく産業連関表を使った機械的な計算であろうが、産業連関分析では高コストの投資を行えば行うほど、経済効果が大きく出る一方、電力コストの上昇、競争力低下、市場シェアの喪失といった負の効果をとらえることはできない。

この戦略の最大の問題点はそうした結構ずくめの数字の裏にある「値札」が見えないことだ。2030年及びそれ以降に向けてこの戦略が実施された場合、家庭用、産業用のエネルギー価格はどの程度上昇するのか、それによってどの産業が裨益し、どの産業が打撃を受けるのか、そういった点をもきちんと示すのは政府の責務であろう。菅直人首相がFITを導入したとき、「コーヒー1杯分くらいの電力料金値上げ」と言っていたことを忘れてはならない。

原発の再稼動の加速、運転期間の延長に加え、新増設も手段に加えること

一度表明した2050年カーボンニュートラル目標を撤回したり後退させたりすることは難しいだろう。しかしカーボンニュートラルと心中するのは愚策である。欧米諸国に比して日本は生真面目であるが故にかえってそのリスクが大きいことを懸念する。

政府に対して強く求めたいのは、2030年及びそれ以降の脱炭素戦略の「値札」を国民、産業界にきちんと示すこと、主要国の温暖化対策コストとの比較を行い、日本の負担が均衡を失して大きくなっていないかチェックすること、情勢如何では戦略を柔軟に見直せるような自由度を確保しておくこと、削減コストを最小化するため原発の再稼動の加速、運転期間の延長に加え、新増設も手段に加えること、日本の技術、製品の国際普及による地球全体での温室効果ガス削減への貢献をPRすることだ。

欧米諸国は格好いいことを言いつつ、自分たちが損をしないようにする術に長けている。日本も「カーボンニュートラル祭り」に参加した以上、彼等の図太さ、厚顔無恥さも見習うべきである。