21世紀の「善悪を知る木」の話

新年そうそう固いテーマが続いたので、今回は政治的テーマを避けて別の観点から新しい年を考えてみた。テーマは21世紀の「善悪を知る木」の使命だ。といっても、果物屋さんのリンゴやなしの木の話ではない。旧約聖書「創世記」に登場する「善悪を知る木」についてだ。

▲「楽園を追放されるアダムとエバ」フランスの画家ジェームズ・ティソの画(ウィキぺディアから)

▲「楽園を追放されるアダムとエバ」フランスの画家ジェームズ・ティソの画(ウィキぺディアから)

創世記には通称「失楽園」の話が記述されている。神はエデンの園にあった「善悪を知る木」から取って食べてはならないと人類の始祖アダムとエバに戒めを与えたが、アダムとエバは蛇の誘惑に乗って取って食べた。すると、目が開かれ、自身が裸であることを知って無花果の葉で下部を隠した。人間が戒めを破ったことを知った神はアダムとエバをエデンの園から追放したという内容だ。

イングランドの詩人、ジョン・ミルトンの「失楽園」を読まれた読者はご存じだろう。キリスト教は「人間は生まれた時から原罪を抱えている」と教える。その結果、アダムは日々の糧を得るために汗を流して働かざるを得なくなり、エバは生みの苦しみを得たというのだ。多くのキリスト教神学者たちはこの「失楽園」の話を文字通り信じるというより、何等かの象徴的意味が含まれていると考える。

そこで問題となる点は、「愛の神」がどうして取って食べたら死ぬという実をエデンの園の中央に置いたのかだ。実際、取って食べたアダムとエバは死んでいない。彼らはエデンの園から追放されたが、2人の息子、カインとアベルを生んでいる。それでは「善悪を知る木」から取って食べた実とは何を意味したかだ。

結論を急ぐと、「エデンの園」にあった「善悪を知る木」とはエバを意味し、「善悪を知る木」の傍にあった「生命の木」はアダムを象徴していた。アダムとエバは「善悪を知る木」の実を取って食べた直後、無花果の葉で下部を隠した。人は恥ずかしい所を隠す習性があるから、これは下部で罪を犯したことを意味している。具体的にいえば、姦淫を犯したわけだ。高等宗教はその教えの違いこそあれ、姦淫を最大の罪としているのは偶然ではないだろう。

ちなみに、「エデンの園」にあった「善悪を知る木」の「知る」は性的結合を意味するが、同時に「啓蒙」を意味する。そこから「善悪を知る木」は「知の天使」と呼ばれたルシファーを意味していた、という解釈も成り立つ。

誤解を避けるために説明しなければならない。神は人類に「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と祝福している。ということは、アダムとエバは時が満ちたら、正式に婚姻し、子女を繁殖する予定だったはずだ。しかし、時ではない時に蛇に象徴された天使に惑わされて、最初にエバが取って食べ、その後、アダムが食べたことから罪が生まれてきた、というわけだ。

キリスト教の歴史では長い間、女性蔑視の歴史が続いた。「男尊女卑」の流れは、旧約聖書創世記2章22節の「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り……」から由来していると受け取られている。そしてエバが最初に「善悪を知る木」の実を取って食べたという「失楽園」の話の影響が強いからだ(「なぜ、教会は女性を軽視するか」2013年3月4日参考)。

ただし、キリスト教の中でマリアはイエスの母親として特別視されてきた。第255代法王のピウス9世(在位1846~1878年)は1854年、「マリアは胎内の時から原罪から解放されていた」と宣言して、教会の教義(ドグマ)にした。聖母マリア崇拝が強いポーランド教会では聖母マリアは“第2のキリスト”と崇められている。

キリスト教信者たちは、厳格で裁く父親的神とは違って、無条件に許し、愛する母親的存在の聖母マリアを必要としてきた。神は自分の似姿で人間を創造された、すなわち、男と女とを創造されたという。神は2性を有しているわけだ。

興味深い点は、聖母マリアの処女懐胎の話だ。聖書の書き手は、神の子イエスが通常の男性と女性の性関係を通じて誕生したのではないことを強調することで、人類の始祖アダムとエバが「エデンの園」で犯した原罪が何であったかを間接的に示唆したわけだ。

新型コロナウイルスの感染対策で日々苦闘する21世紀の現代人にとって、「失楽園の話」は数千年前の神話に過ぎないかもしれないが、アダムとエバが躓いた「善悪を知る木」の物語は依然、意味を失っていない。多くの現代人は「善悪を知る木」に躓き、苦しんでいる。淫乱と姦淫の罠に陥っているからだ。21世紀の物語もその主人公は男と女であり、その愛と葛藤の話で溢れている。

女性の権利が復帰され、社会全域で女性の進出は目覚ましい。すなわち、「善悪を知る木」で象徴されてきた女性は21世紀の今日、美しく、知性に溢れる存在としてその魅力をいかんなく発揮してきた。男性はタジタジだ。

そこで今回のコラムのテーマ、21世紀の「善悪を知る木」の使命は、「エデンの園」にあった「生命の木」に象徴された男性との和解だ。多くの哲人、賢者たちは過去、「神の不在」を嘆いてきた。なぜ「愛の神」は苦悩する私たちを救わないのか、といった疑問だ。その答えは、「善悪を知る木」と「生命の木」が和合できない限り、神は自身を表すことができないからではないか。換言すれば、男性と女性が一体化することは、宇宙的な意味があるといえるわけだ。男性と女性が婚姻し、子供を産み、楽しい家庭を築くことは、神をその家庭に招き入れることになるからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年1月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。