自治体主催の税金を使った成人式は廃止すべき --- 川畑一樹

寄稿

JianGang Wang/iStock

2021年1月11日は成人の日である。今年は新型コロナウイルスの影響で開催中止になった自治体も多いが、成人式を実施する自治体も存在する。日本における成人式は基本的に行政主導で税金が投入されているが、筆者は成人式への税金投入を即刻やめるべきだと考える。もっと言うなら行政主導の成人式も廃止するべきだと考える。理由は四点ある。

一点目は、成人式参加者の「大人になった意識」が薄いこと

大人とは一人の独立した主体として社会に貢献し責任を果たす存在であるが、果たして「独立した主体」として青年期の課題を乗り越えた新成人は、今の日本の中でどれくらいいるだろうか。特に日本のような成熟した社会の場合、エリク・ホーンブルガー・エリクソンの指摘する青年期の期間が非常に長くなり、成人を過ぎてもモラトリアム状態が続く人も多い。このような状態で「あなたは大人になりました」と言われても実感がわかないだろう。

中には基本的な道徳すら理解できず、成人式の壇上で騒いだり、式典中に私語をしたりといった、大人云々以前の問題を抱えた新成人すら相当数存在する。そんな新成人に対し「あなたは大人になりました」という意味は何か。基本的な道徳を理解できない人間が、一人の主体として社会に貢献し責任を果たす大人たりうるだろうか。筆者は大いに疑問である。

二点目は、成人式は一般的な意味での通過儀礼ではなく、戦後新しく作られたイベントの一つに過ぎないこと

日本社会は20歳になった人間を自動的に「大人」として承認する。一般的な通過儀礼のように、成人式を経ないと日本社会という共同体が大人として承認しないというわけではない。結局、現代日本において成人式は通過儀礼ではなく、単なるイベントの一つでしかない。

三点目は、成人式に使う財源の問題

地方・国問わず恒常的な財政難に悩まされている。この解決策として、社会保障費や公共投資などの必要経費を削る、人員を削減し人件費を削る、あるいは増税などを行い、税収を増やすという方策が一般的に考えられる。

しかし必要経費や人件費の削減は安易に行うべきではない。社会保障費は社会的弱者の生存権に直接かかわるためいたずらに減らすことはできない。公共投資も日本のインフラが貧弱なことを鑑みた場合、まだ減らす段階ではないと考えられる。増税に関しても同様で、特にコロナ禍で不況の昨今、安直に増税することで消費がさらに冷え込み、日本経済にさらなるダメージが加わることが予想される。

一方成人式はどうか。上述2点の理由を鑑みた場合、成人式に公金を投入するのは不適切といえないだろうか。政府や自治体は必要経費の削減、あるいは増税を考える前に、成人式のような不必要な事業の洗い出しと削減をすることが先決である。

四点目は自治体における人員削減

三点目で述べたとおり、自治体における財政難の対策として人員削減が行われた。結果として一人当たりの業務負荷が増し、ILOの提唱するディーセント・ワーク(人間らしい労働)から遠ざかっていることが考えられる。この対策としては職員数を増やすか、必要性が低い無駄な事業を打ち切る必要があると考える。

もちろん公務員の数を増やすことも重要ではあるのだが、同時に無駄な事業から撤退することも必要だと考える。何を以て無駄とするかは諸説あるだろうが、新成人の現状や成人式が通過儀礼でないことを鑑みた場合、成人式は無駄な事業として扱われるべきではないか。自治体は主催する成人式を廃止することで、職員の業務負荷を減らすことができ、ひいてはそれが自治体におけるディーセント・ワークにつながると考えられる。

以上のことを踏まえ、自治体が主催する成人式はすべて廃止し、税金投入も行わないことが望ましいと考える。唯一成人式の長所を挙げるとするならば、地元の友人関係を維持するうえで重要なことである。公的なセーフティーネットが削減される中、地元の友人関係は存在論的、あるいは経済的なセーフティーネットとして機能している。そのようなセーフティーネットを維持するという点においては、確かに成人式の意義があるかもしれない。しかしそれは、自治体主催成人式を実施する理由としてはあまりに弱すぎる。

自治体主催の税金が投入された成人式には正の側面もあるにはあるが、負の側面がそれを上回っている。今こそ自治体は大ナタを振るい、自治体主催の成人式廃止・税金投入の中止を掲げるべきである。それとともに新成人も廃止になった理由を理解し、一人の独立した主体として社会に貢献し責任を果たす存在になれるよう自己研鑽に励むべきである。

川畑一樹 フリーの社会学研究者
1991年・熊本県生まれ。中央大学文学研究科修了(修士:社会情報学)。シンクタンク勤務を経て現在に至る。