コロナ時代にも生きる吉田松陰の真髄

鈴木 寛

あけましておめでとうございます。本年より東京ヘッドラインでの連載名を新たに「REIWA飛耳長目録」と題し、社会や人生の「難問」に向きあう方々のヒントになると思うことを綴っていきます。

さて新しい連載タイトルの由来の話から始めましょう。「REIWA」は言うまでもなく「令和」。では「飛耳長目録」とは何でしょうか。ご存知のかたは幕末の歴史にかなり精通されていますね。

「飛耳長目」とは、吉田松陰が松下村塾で学ぶ若者たちに新しい時代の動きや情報を収集することの大切さを説いた言葉です。現代風にいえば、飛耳長目はインテリジェンス、飛耳長目録は見聞をまとめたレポートといったところでしょう。

松下村塾跡(MasaoTaira/iStock)

なぜ、松陰はインテリジェンスの意義を若者たちに唱えたのでしょうか。松下村塾は、高杉晋作、伊藤博文ら幕末維新の英傑を続々と育てたことでおなじみですが、現代の大学でいえば、各界のリーダーを着実に輩出し続ける“超名門ゼミ”。

もう四半世紀以上前のことですが、私は通産省から山口県に赴任し、松下村塾などの松陰の足跡に触れたときから、ゼミとしての松下村塾の成功要因をずっと分析し続けてきました。やがて、この「飛耳長目」に秘訣があるように思い至りました。松陰は若い頃、異国の船が日本近海に出没するようになった情勢を受けて、日本各地の海防体制を見聞して回りました。

徳富猪一郎 著「吉田松陰」より(画像は国立国会図書館サイト

これは私の推測ですが、人間は歩く間にさまざまな物事を考えます。あるいは同行者と語らい、議論をして思索を深めます。それまでに書物で学んだ知識を自らの血肉にし、さらに旅先で新しい情報に触れて思考をアップデートし、自らの見識を磨き続けたわけです。

百聞は一見にしかず。松下村塾での松陰の“教授”としての実働期間は数年に過ぎませんが、事細かな知識を教え込むよりも、生き様を示し、国の未来を憂う若者たちのハートに火をつけたのではないでしょうか。

古典を含めた圧倒的な教養と、津々浦々で見聞した最新情報で思考を究め、自分なりのビジョンを形成し、その実現に向けて邁進する――これこそ、のちに時代を変えた若者たちを送り出した、松陰のイノベーター養成者としての真髄だったのだと思います。

異国船の登場で武家社会が根底から揺らいだ幕末。不確実な世界の展望を拓こうと、自分で見聞きし、自分の頭で考え続けた松陰や若者たちの流儀は、コロナ禍に直面する私たちに大いなる示唆を与えてくれます。


編集部より:このエントリーは、TOKYO HEADLINE WEB版 2021年1月11日掲載の鈴木寛氏のコラムに、鈴木氏がアゴラ用に加筆したものを掲載しました。TOKYO HEADLINE編集部、鈴木氏に感謝いたします。