ツイッターのトランプ大統領アカウント事件では、保守派が「言論の自由」を主張する一方、朝日新聞は凍結容認論で、いつもとは立場が逆転している。世界的にもリベラルには容認論が多い中で、ドイツのメルケル首相が「ツイッター社のアカウント永久停止は言論の自由を侵害する問題のある行為だ」とコメントした。
これをトランプ擁護とみる向きがあるが、逆である。FTが正確に報道しているように、彼女は「アメリカ政府はプラットフォームに自主規制ルールを作成させるのではなく、ドイツのように法律でオンラインの煽動を制限すべきだ」というのだ。
ドイツで2018年に施行されたネットワーク執行法は、ドイツ政府がソーシャルメディアに対して違法なコンテンツを削除するよう警告し、24時間以内に削除しなかった場合は最高5000万ユーロの罰金を科す法律で、通称「フェイスブック法」と呼ばれる。
これは先進国ではもっともきびしいオンラインコンテンツに対する規制だが、ほとんど役に立たない。フェイスブックのドイツ法人から罰金を取っても、ユーザーは世界のどこからでもドイツ語で書き込めるので、フェイスブック自体を閉鎖しない限り、違法な言論は禁止できない。
プラットフォームは規制できない
インターネット初期の1990年代には、犯罪やわいせつなどの違法コンテンツを取り締まるため、警察がISP(インターネット・サービスプロバイダ)を強制捜査することも珍しくなかった。それに対して「サーバを提供しているだけの業者を取り締まるのはおかしい」という批判が強まった。
そういう流れの中でアメリカでは1996年、通信品位法でインターネット規制が定められたが、その第230条ではISPのコンテンツについての編集責任を免除した。この法律は当初は単にサーバをウェブサイトに貸す通信事業者を想定していた。
しかし2000年代にSNSが成長すると、それは単なる通信事業者とはいえなくなり、名誉毀損などの紛争が増えると、プラットフォームにも法的責任を求める声が強くなった。それに対してもっとも厳格に対応したのがドイツだが、SNSのサーバは全世界に分散しており、本社はアメリカなので、ドイツ政府に強制執行権はない。
強制的に規制できるのはアメリカ連邦政府だけだが、通信品位法230条を廃止しても、SNSの膨大なメッセージを政府が逐一監視できない。ヘイトなどの問題で「政府の監督不行き届きだ」という行政訴訟や国家賠償訴訟が多発するだろう。どう考えてもドイツ的アプローチは、アメリカがまねるべきものとはいえない。
自主規制を政府が監視するしかない
この問題を昔ながらの「個人の自由を国家権力から守る」という図式で考えても答は見えない。国家を超えるデファクト権力になったプラットフォームを、どうやって実質的にコントロールするかを考えるべきだ。
プラットフォームには国境がないので、国内法による規制は役に立たない。具体的な情報を管理できるのはプラットフォーマーだけなので、彼らが明示的なルールにもとづいて自主規制し、それを政府が第三者委員会で監視することが現実的だろう。
ツイッターやGAFAなどのプラットフォームは、中世末期に領邦を超えて生まれた通商法(Law Merchant)と似ている。このとき各国が商人に課税しようとしたが、彼らは税率の低い国に逃げ、領邦を超えた近代国家ができる原因になった。
このとき課税や取引の安全性を担保したのは、軍などの暴力装置ではなく、国を超えた裁判所による情報共有だった。借金を踏み倒した商人についての評判は各地に広がり、彼は取引のネットワークから追放されたのだ。
これから必要になるのも、国境を超えた情報共有だろう。それには企業を処罰する強制力はないが、プラットフォームはコンテンツを管理し、規定に違反したらアカウント削除もできる。それを各国政府が監視するという役割分担になるのではないか。通商法が生まれたのも神聖ローマ帝国、つまりドイツだった。