毎年恒例の正月番組に「芸能人格付けチェック!」という人気番組がある。
著名芸能人の出演者が、味覚や音感などの「格付けチェック」に挑み、間違える度に、一流→二流→三流→そっくりさん、そして、最後には「映す価値なし」とランクがどんどん下がっていく番組だ。
その中で、例えば、超高級和牛を見分ける「格付けチェック」で、豚肉を選んでしまった場合など、「絶対にアカン」という選択肢があり、それを選ぶと、その芸能人は画面から消える。
2021年の年明けからまだ半月だが、その間に、政治家の「絶対にアカン」が相次いでいる。
吉川元農水大臣の“大臣室での現金収賄”
1月15日には、吉川貴盛元農水大臣が、収賄の事実で在宅起訴された。2018年10月から2019年9月まで第4次安倍改造内閣で農林水産大臣を務めていたが、大臣在任中の18年11月21日に都内のホテルで200万円、19年3月26日に大臣室で200万円、8月2日に大臣室で100万円を受け取ったとのことだ。
大臣就任前から業界からの要請を受け、政治献金を受けていたとしても、大臣に就任した以上、「職務に関連する政治献金は、賄賂に当たる」として拒絶するのが当然だ。それを、こともあろうに、大臣室で現金を受け取ったというのは、唖然とするような話だ。
「安倍一強」と言われる政治状況が長期化する中で、大臣室で業者から現金を受け取った甘利明元経済再生担当大臣が、刑事責任を問われることなく、事件が有耶無耶にされたまま自民党の要職に返り咲いていることなどから、大臣としての当然の規範意識も緊張感も失ったということであろう。
まさに政治家として「絶対アカン」ということは間違いない。
菅首相「福岡県」を「静岡県」に言い間違え
吉川氏が、既に議員も辞職しており「過去の人」になりつつあるので、その刑事事件は、現在の国民に与える影響は大きくない。それとは異なり、まさに現在、コロナ感染で緊急事態宣言が出され、国民生活に大きな影響を与えている状況下で、「絶対にアカン」のが、菅義偉首相の発言だ。
1月13日の午後、菅首相は、総理大臣官邸で第52回新型コロナウイルス感染症対策本部会議を開催し、新型コロナウイルス感染症への対応について議論を行い、その結果を踏まえて、緊急事態宣言に7府県を追加し、対象地域を11都府県に拡大することを明らかにした。
この際の首相発言は、生中継のカメラの前で行われ、宣言が拡大される府県にとっては、それが、初めて公に明らかにされた瞬間だった。
そこで、菅総理は、拡大の対象府県を、
大阪府、京都府、兵庫県、愛知県、岐阜県、静岡県、栃木県
と発言した。この「静岡県」というのは、実は、「福岡県」の誤りで、会議直後に、西村康稔新型コロナ対策担当大臣が訂正した。
菅首相は、今回のコロナ感染急拡大の中で、緊急事態宣言の発出が遅れたのではないかとの指摘に対して、
「緊急事態宣言は対象地域の国民の生活に重大な影響を及ぼすから慎重に判断してきた」
と何回も繰り返して説明してきた。その重大な影響を及ぼす緊急事態宣言の拡大を公表する際に、その対象の府県を言い間違える、というのが、総理大臣として絶対にあってはならない「言い間違え」であり、まさに、「格付けチェック」であれば、「絶対にアカン」とされて、ただちに、画面から消えてなくなるような「大チョンボ」というべきだ。
「福岡県」を「静岡県」と間違えたことに関して、「福岡」も「静岡」も同じ「岡」がつく県名なので、単に言い間違えただけであるかのように思える。そうだとすれば、あまりに軽率であり、一流政治家の総理大臣として「絶対アカン」のレベルだ。
しかし、本当に単なる「言い間違え」なのだろうか。
「静岡県との言い間違え」の背景
むしろ、菅総理の頭の中には、「静岡県」が、対象地域の候補として強く刻み込まれていたのではないだろうか。
そう考える理由の一つが、東京都から大阪府までの東海道新幹線が通る太平洋側のエリアでは静岡県地域だけが空白になっていることだ。その静岡県でも、このところクラスターが多発し、感染が拡大しており、ちょうど、宣言の対象地域拡大の前日の12日に、感染ステージが「3」に引き上げられている。そういう意味では、静岡県が対象地域となることも十分に考えられるところだった。それだけに、「言い間違え」の影響は大きい。
そして、もう一つ、菅総理にとって、「静岡県」には個人的動機がある。
静岡県の川勝平太知事が、昨年秋、日本学術会議の新会員候補6人の任命拒否問題を巡って「菅義偉首相の教養レベルが図らずも露見した」などと発言し、その後、発言を撤回して陳謝したことがあった。この川勝知事の発言に対して、就任直後に、自身の学歴に関してプライドを傷つけられた菅首相が、相当強い個人的な反感を持ったであろうことは想像に難くない。
そういうこともあって、菅首相の頭の中に「静岡県」が刻み込まれていて、対策本部での「言い間違え」につながったということも考えられる。
いずれにしても、菅首相の「静岡県」の「言い間違え」は首相として「絶対アカン」のレベルというべきだ。
官邸会見での「国民皆保険」発言
そして、その「言い間違え」の直後、菅首相は、総理官邸で開かれた「緊急事態宣言7府県に拡大」についての記者会見の最後に、ジャーナリスト神保哲生氏の質問に対して、「国民皆保険」に言及し、物議をかもすことになった。
会見は、冒頭の発言に続いて質疑に入ったが、菅首相は、ほとんどの質問に「原稿棒読み」で答えていた。つまり、質問内容が予め提示されていたということだ。
そして、最後に、クラブ外の会見参加者の神保氏が、
日本は人口あたりの病床数は世界一多い国、感染者数はアメリカの100分の1くらいなのに、医療が逼迫して、緊急事態を迎えているという状況について、政治が法制度を変えれば、変えられるのではないか。
現在の医療法では病床の転換は病院にお願いするしかないが、医療法を改正することは政府のアジェンダに入ってないのか。
軽症者でも厳重に扱わなくてはいけない感染症法の改正を行うつもりはないのか。
との趣旨の質問を行った。
この質問については、事前の質問提示がなかったようだ。菅首相は、言い淀みながら、それまでの政府の対応について説明した後、医療体制の問題について、以下のような発言をした。
そして、感染症法については先ほど申し上げましたけども、そういう法律改正は行うわけであります。
それと同時に医療法について、今のままで、結果的にいいのかどうか、国民皆保険、そして、多くの皆さんが、その診察を受けられる今の仕組みを続けていく中で今回のコロナがあって、そうしたことも含めてですね、もう一度、検証していく必要があるというふうに思ってます。
それによって必要であれば、そこは改正するというのは当然のことだと思います。
意味が不明瞭だが、「国民皆保険で多くの国民が診察を受けられる今の仕組みを含めて、もう一度検証していく必要があると思っている。必要であれば、そこは改正をするというのは当然のこと」という趣旨のように読み取れる。
コロナ感染者、死者が世界で最多のアメリカに関して、医療保険がないことがその原因の一つだとかねてから指摘されてきた。
医療保険をもたない国民が約2750万人(人口の8.5%)に上り、新型コロナウイルス感染が疑われる症状がでても、病院に行くことをためらう人の率が14%、低所得者や非白人になるとその率は22%(5人に1人)に上るとの報道もある。ファウチ国立アレルギー感染症研究所所長は2020年5月12日の議会証言で、自宅で亡くなる人など統計外の死者が多数いると述べている。
そういう医療保険がないアメリカで死者が爆発的に増えているというのに、コロナ感染に対する緊急事態宣言拡大の記者会見で、日本の医療制度について質問された時に、「国民皆保険制度を含めて検証する、必要であれば改正する」という趣旨で発言したとすれば、感染が急拡大して多くの国民が不安に思っている中で、あまりに無神経だ。
翌日、加藤勝信官房長官は、菅首相の発言について、
皆保険制度という根幹をしっかりと守っていく中でどう考えていくのか検証、検討していきたいという趣旨で言ったと思う。
と説明した。
もし、加藤官房長官の説明のとおりだとすると、菅首相の発言は、あまりに不正確で、極めて重要な事項に関わる首相として最低限の「説明能力」すらないということになる。
「国民皆保険」発言の背景として考えられること
それだけではない。この発言も、単なる無神経で軽率な発言というだけでは済まされない、菅首相の脳裏に刻み込まれた「国民皆保険制度への問題意識」が背景となった可能性がある。
神保氏の質問で「医療法の改正」と言っているのは、病院・診療所等の医療機関の開設・管理についての都道府県への報告義務等について定める法律である医療法を改正して、国や自治体の権限でコロナ病床を増やすことを強制することができないか、ということだ。
医療機関の設置について、医療者側の自主的判断と都道府県への報告を中心にしている医療法の枠組みに、国や都道府県側の強制力を持たせることは、医療体制の根幹に関わる問題なので軽々に行えることではない。質問に対する首相の回答としては、「そのような意見があることは承知しているが、医療法の枠組みにも関わる問題なので慎重に検討しつつ、コロナ感染拡大に対する医療体制の確保に万全を期していきたい。」というような答えをするのが通常であろう。
ところが、菅首相は、そこで、こともあろうに「国民皆保険」の問題を持ち出したのだ。
それが、単に、その質問だけ原稿なく自分の言葉で答えなくてはならなくなって、支離滅裂なことを言っている中で、たまたま日本の医療制度の根幹である「国民皆保険」という言葉が出てきてしまったということであれば、「答弁能力」「説明能力」の問題だということになる(それも「絶対アカン」のレベルだが)。
しかし、この発言も、そのような単純な話のようには思えない。
国民皆保険制度をめぐる利害
「国民皆保険」という日本の制度の下では、国民誰もが、いかなる場合でも医療機関を受診でき、医療者側には応召義務があるため、医療提供を拒否できない。誰しもが保険医療の範囲で、等しく一定レベルの医療の提供を受けられることを保障するものだ。
しかし、一方で、自己負担をしてでも高度の医療を受けたいと思う富裕層にとっては、そのメリットはあまりなく、むしろ、保険診療と保険外診療と併用する混合診療については原則として全額が患者の自己負担になることなどに対して不満が根強い。
アメリカの例を考えれば、コロナ感染によって国民の命が危険に晒されている状況においては、「国民皆保険」は、国民全体の命を守る砦と言ってもよいだろう。しかし、一方で、競争原理・個人責任の徹底を中心とする新自由主義の立場から、「貧乏人の命」と、「経済社会で活躍する富裕者の命」とは価値が異なるという考え方をすると、今の日本で、人口当たりの感染者がアメリカより遥かに少ないのに医療崩壊の危機に瀕するのは、「国民皆保険」の制度の下で、限られた医療資源が多くの貧者に提供されていることが原因だという考え方が出てくるのかもしれない。
菅首相のこれまでの政治思想、そして、日本では「新自由主義の教祖」のような存在である竹中平蔵氏らと親しいことなどからすると、日本が「医療崩壊」の危機に至り、緊急事態宣言を出さざるを得なくなっていることに対して、「国民皆保険」に根本的な原因があるような考え方が頭の中に刻み込まれていて、それが、思わず、口から出てしまったということかもしれない。
しかし、菅首相の発言の背景にそのような考え方があるとすれば、今、コロナ感染で国民の命が危険に晒されている状況での国のトップの発言として、絶対に容認することはできない。
日本の医療には様々な問題があり、それが、現在のコロナ感染急拡大の状況で露呈していることは確かだ。神保氏が問いかけた「医療法の改正」のほかに、新型コロナ特措法31条に基づき医療関係者に対して「医療を行うよう要請」すべきとの意見もある。そのような法律の活用や法改正については精一杯検討すべきだ。ところが、いきなり「国民皆保険」という言葉が出てくる菅総理の頭の中は、一体どうなっているのだろうか。
少なくとも、政府の対応を考える上で、絶対に疎かにしてはならないことは、
富める者も、貧しい者も、等しく、その命と健康と暮らしが最大限に尊重される
ということだ。この危機的な状況における日本政府のトップは、そういう考え方でなければならない。
宣言対象地域拡大の官邸記者会見での菅首相の発言は、単なる「答弁能力」「説明能力」の問題ではない、現在の危機的状況の日本を率いる政治家として失格だ。「絶対にアカン」とされて、ただちに画面(官邸)から消えるのが当然だと思う。