文在寅政権の北朝鮮に対する甘さを、日本人は理解できないでいます。韓国はあんなに発展して、北朝鮮は貧困のどん底にあるのに、おかしなことです。韓国は北朝鮮に援助してきましたが、それでも、北の指導者は韓国の指導者に罵詈雑言を浴びせます。
この「韓国人はなぜ北朝鮮にコンプレックスを持つか」というテーマについて、2019年に出した『ありがとう、「反日国家」韓国 – 文在寅は〝最高の大統領〟である! 』(ワニブックス)で解説していますので、その一部を紹介したいともいます。
ヨーロッパの問題について詳しい人でも、南北朝鮮の関係をかつての東西ドイツとよく似たものだと勘違いしている方がいますが、それは朝鮮半島の問題に対する根本的な無理解の結果だと思います。
まず、人口規模でも東西ドイツは1対4でしたが、南北朝鮮は2対1です。ですから、西ドイツはなんとか東ドイツを経済的に吸収しましたが、朝鮮半島でそれは無理です。
ドイツでは政治的にも、西ドイツの制度で自由選挙を行い、西ドイツの政党が東ドイツの選挙区でも候補者を立てて勝利しました。しかも、東ドイツでは選挙の前に東ドイツの体制は崩壊して民主派が主導権を取っていたのです。
ところが、南北朝鮮の人口比と、現在の議論では北朝鮮の体制は統一まで維持されるということになっていること、さらに、北朝鮮での投票率の高さなどを考えると、大統領選挙で過半数も要求されていないことを考えれば、仮に、金正恩と文在寅と韓国の野党候補で選挙になれば、金正恩が当選することは間違いありません。あるいは、金正恩が支持する傀儡の南北統一派候補でしょう。
また、東ドイツは西ドイツに比べて良いことなどほとんど何もありませんでした。あるとすれば、軍隊の規律がプロイセンの伝統を引き継いでしっかりしていたとか、国際化された西ドイツのオーケストラに比べて、東ドイツのほうが伝統がよく守られていたとかいうようなことです。
カラヤン=ベルリン・フィルの垢抜けた音に対して、コンヴィチュニー指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団やベルリン国立歌劇場の古色蒼然たる演奏は、それはそれで魅力的ではありました。
しかし、政治面でも経済面でも生活面でも、東ドイツのほうが良いという人はほとんどいませんでした。
森鴎外の「舞姫」でその光芒が美しく描かれているウンテルデンリンデンの大通りにほとんど人通りもなく、ソ連軍の兵士に守られた慰霊施設だけが強烈な印象でした。軍事的には、西ドイツには英仏米の三か国軍が、東ドイツにはソ連軍がいましたが、ソ連軍の支配のほうがより直接的でした。
非同盟諸国の雄として国際的名声も高かった金日成
こうした東ドイツに対して、北朝鮮はそうも割り切れない部分があります。なぜなら、まず、1970年代までは経済的には北のほうが豊かだったからです。北朝鮮では、1946年に農地改革をして、有無をいわせず、地主から農地を取り上げ農民に配分しました。
財産権を無視した乱暴なものでしたが、経済的には合理性があり、農業は活性化しました。工業も日本が残したインフラを社会主義的な手法で上手に活用しました。ひとことでいえば、社会主義は少し乱暴だがとりあえず社会経済を機能させるには向いた体制であり、そのいい面が出たわけです。
当時、マスコミ各社の代表が北朝鮮を訪問して大絶賛のルポを書きました。花田紀凱さんが発掘して紹介するところでは、「天声人語」で有名な朝日新聞の入江徳郎は59年12月25日の「『驀進する馬』北朝鮮 よく働く人々」という記事でこう書いています。
「北朝鮮の経済建設のテンポはものすごい。(中略)5ヵ年計画を2年も短縮して今年度中に超過達成しますと言う勢い(中略)鉄、電力、セメント、化学肥料や穀物の人口一人当たりの生産量は日本をしのぐ」「工場も8時間労働で昼夜2交代。機会はフルに動いている(中略)日本が経営していた頃の2倍半の生産高」「こんなに働いてみんな不満はないのかと聞くと、ある人はこういった。『冗談じゃあない。働けば働くほど生活が目に見えてよくなる。ぼろぼろの家から近代的アパートに移れた。家賃がタダみたいに安い。米もタダみたいだ』」「働けば食えるようになった北朝鮮に、他国で苦労している同胞を引き取って一緒に働こうと言う気持ちが今度の帰還」
ただし、こうした見方を私は、いわゆる保守派の人々ほど全面否定しようとは思いません。なぜなら、この記事が書かれた1959年の時点では、資本主義はかなり病んでいたのです。
そして、韓国は米軍の下で半独立国のようなものだったのに対して、北朝鮮は自主独立で外国軍隊の駐留もありません。朝鮮戦争でも、北朝鮮は自力で戦い、だいぶたってから中国の義勇軍の応援を得ましたが、韓国軍はあっというまにソウルは陥落して、韓国政府は多くの人々が必死に渡ろうとしている漢江の橋を爆破して南に逃げてしまい、反撃の主役は日本の協力も得た米軍でしたし、いまも、米軍が駐留しています。
国民の自由度についても、北は確かに酷いものですが、李承晩政権のもとでの南の人権状況も決して褒められたものでありませんでした。世界外交の舞台では、北朝鮮は非同盟諸国の雄として相当の力がありましたし、朝鮮戦争ではアメリカ帝国主義と互角に正々堂々戦ったという栄誉に輝いていたのです。
何しろ、コリアン民族は歴史において栄光とは無縁の隠者の国でした。高句麗はそこそこ頑張って国際的にも存在感がありましたが、中国にしてみれば、コリアンとは関係のない、中国の少数民族が打ち立てた国々です。公平に見ても、中国の言い分に分があります。
こうしたこともあって、戦後から長い間、南の人も北朝鮮の政治的栄光をうらやましく思い、場合によっては応援してきたのです。
しかし、いまの韓国は一転して立派な国になったはずです。それでもなぜ、胸を張れないのか、については、別の機会に説明します。