「道路族」に告ぐ!子供の「道路遊び」が否定されるべき3つの理由 --- 川畑 一樹

ゲストオーサー

「道路族」と呼ばれる存在がインターネット上を中心に問題視されている。道路族といっても族議員のことではなく、子供を住宅街などの道路で遊ばせる親や遊ぶ子供を指し、否定的なニュアンスが含まれる。

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いうまでもなく現代日本において道路遊びは危険行為である。当事者のみならず通行人やドライバーを巻き込んだ大惨事もおきかねない。加えて道路上に落書きをする、昼夜問わず騒音を立てる、道路を通行する歩行者や自動車の進路妨害を行う、住宅の外構や自動車を破壊するなどの道路遊びにかかる被害報告が日夜上がっており、少なくとも当事者にとっては深刻な問題としてとらえられている。

一方道路遊びに対し肯定的な立場をとる者も存在する。子供達には遊ぶ場が必要でありその場所として道路が好適であることがその主な理由である。欧州諸国を見習い、自動車交通を規制してまで道路遊びの権利を確立すべきという声も見受けられる。

道路族問題に関しても、子供たちの行為に大人が寛容で、なおかつ地域コミュニティがきちんと形成されているなら問題は発生しないという議論も存在する。しかし筆者は現代日本においては、道路遊びは否定されるべきと考える。理由は以下の三点である。

一点目は、道路の持つ場所性を喪失させるからである。いうまでもなく、道路は歩行者や車両が往来する空間であり、遊び場ではない。日本においては児童遊園が整備されてきたこともあり、遊ぶ場とそれ以外の場が分離されてきた。ここで必要なのは、遊ぶ場以外でも遊ぶことを肯定するのではない。むしろ遊ぶ場以外では遊ばないよう子供を教育することではなかろうか。

遊ぶ場においては子供が安全に遊べるよう配慮されているが、それ以外の場では遊ぶ以外の機能が優先されている。そんな中、子供を道路で遊ばせることは子供を危険にさらすとともに、遊ぶ場所とそれ以外の区別がつかなくなることにつながりかねない。それは結果として、レストランや店舗、電車内など本来遊ぶ場所ではないところで遊ぶ行為にもつながりかねない。

二点目は、「寛容」「寛容性」という語の意味付けである。道路で遊ばせる親は被害を主張した者に対し、しばし「寛容性が足りない」ということを口にする。ここでいう「寛容性」とは親が子供を教導するという責任を放棄し、楽をするための方便に過ぎない。本来親は子に基本的な行動規範を学ばせる責任があるが、近年は親の質的な変容によりその責任を放棄し「自分(たち)が楽ならそれでいい」という意識を持つ者も増えてきているという。

その意識は道路遊びさせる親だけではなく、例えばオンラインゲームなどに耽溺し家事育児を放棄する親などにも共通してみられる。これに関しては、行動規範を身につけるより同質性の高い小集団の中でうまく立ち回ってほしいという、親が子供に期待することが変容したことも大きいかもしれない。

三点目は、道路遊びを認めてくれる地域コミュニティなどは、幻想にすぎないということである。子供が道路で遊んでも騒いでも誰も目くじら立てることなく見守ってくれる、「寛容性」という概念を振りかざしてまで楽をしたい親としてはまさに楽園である。しかしそのようなコミュニティを形成するのには無理がある。

地域社会には様々な人が住んでいる。例えば様々な事情で子供の出す音に耐えられない人だ。受験を控えた人、病気療養中の人、寝たい赤ちゃん、夜勤の人、聴覚過敏の人にとっては、たとえ昼間であっても子供が目の前の道路で騒ぐことは苦痛であり、耐えようにも耐えられないのが実態である。

この他にも、運送業やタクシー・バスの運転手など道路を使って生業を立てる人にとっても、子供が道路で遊ぶことにいい顔をしないだろう。なぜなら、交通事故のリスクが増えることにつながる。

こういう人にとって見れば、道路で遊ぶ子供をはねる交通事故を起こせば、勤務先の懲戒免職だけで済まされればまだいい方で、民事・行政・刑事上の重い責任を背負わされ、一生を棒に振る可能性すらある。当然、子供の道路遊びに肯定的な立場をとることはないだろう。

このように、立場や状態により子供の道路遊びで迷惑をこうむったりする人はたくさんいる。それを無理に「子供の道路遊びを認めるのが理想のコミュニティ」といっても反発を招くだけである。

以上の三点を踏まえ、現代日本においては、道路遊びは否定されるべきと考える。遊ぶ場がないという声もあるが、昔と比べ児童遊園などは整備されてきている。責任から遁走したい親にとっては耳が痛い話かもしれないが、子供には根気強く「ここ(公園など)は遊ぶ場所」「ここ(道路・店舗・電車内など)は静かにする場所」ということを教えなければならない。

そういうことを理解できないまま育つと、公共マナーを守れず他者に迷惑をかける若者や大人に育ってしまう。そうならないためにも、道路で遊ばないよう親はしつけるべきだし、子供を取り巻く大人も道路で遊ばせないよう動くべきである。

川畑一樹 フリーの社会学研究者
1991年・熊本県生まれ。中央大学文学研究科修了(修士:社会情報学)。シンクタンク勤務を経て現在に至る。