韓国の文大統領の年頭記者会見で毎日新聞社ソウル支局の記者の質問に対して「徴用問題で外交的解決に向けて対話をしている中で(慰安婦問題訴訟の)判決が加わり、正直困惑した」(毎日新聞)と答えたことに日本のメディアが一斉反応、「困惑」という言葉が独り歩きしている状態にあります。
メディアによっては日本側に一歩譲歩したとみる向きもありますが、産経は「『困惑しているのは日本』政府、文大統領に冷ややか」と厳しい姿勢で評しているところもあります。
記者の質問に答えた内容ですが文大統領がどういう意図でその言葉を述べたのか、前後関係から推測する限り、私は文大統領の困惑とは特段、何か譲歩するという話ではなく、「どうして次から次へと日本との問題が噴出するのだろう」という困惑だとみています。困った、とは思っていますが、自分で何か解決策があるわけでもない中でこれ以上の悪化は望まないという意味だと考えています。
それを裏付けるように元徴用工訴訟については「強制執行で資産が現金化される方法は、韓日関係に望ましくない」と述べています。仮に現金化されれば日本は相当強硬な対抗策を打ち出すのが分かっており、政権そのものを揺るがしかねない予測不可能な事態が生じることを懸念したのだろうとみています。
これはとりもなおさず、文大統領の任期の問題とも関係します。22年5月の大統領任期に対して選挙活動などで国全体が選挙戦で盛り上がることを考えれば今年一杯がまともに政治ができる限界。その枠組みの中で日韓関係をこれ以上こじらせるのは次期政権へのバトンとしては悪作用となるとみているのはないでしょうか?
但し、文氏が「2015年の日韓合意は政府間の正式合意」と認めたことは画期的であります。私は安倍首相(当時)が朴槿恵大統領(当時)と結んだこの合意は「前向きに評価できる慰安婦問題合意」とし、結構なことと申し上げました。多数の異論を頂いたのですが、私が10億円の合意が意味するものと言ったのは世界が注目し、その証人となる中での合意であった点であります。つまり、韓国はこれを覆すことができない袋小路に入ったという意味で評価したのです。
特に当時、オバマ大統領が日韓の不仲に苛立ちさえ感じていた中で辿りついた合意はアメリカが第三者としてしっかり記録している点において10億円の何倍もの価値があるものです。その効果は5年経ってようやく文大統領が認めざるを得ないことになったとも言えます。あの10億円は日本側の戦略として十分機能しているのです。
1月8日、韓国で日本政府を相手取った慰安婦訴訟で日本政府が敗訴したことを受け、外務省のコリアスクールの方と1965年の日韓条約の際に慰安婦問題の解決金は含まれていたのか、という点を再度確認しました。結論的に言えば入っています。当時、その合意にいちいちすべての案件や事象を列挙することは不可能でそもそも慰安婦問題は話題にすら上がっていなかったのです。そこでその際の合意は「一切合切全て」という形で盛り込んでいるのです。よって日本の立場は慰安婦問題も1965年の日韓条約で既に解決済みのはずだけれど敢えて安倍首相(当時)が日韓国交正常化50年である2015年に慰安婦問題に特化、明文化して更に10億円の解決金をもって臨んだものであります。
文大統領が悩んでいるとすれば韓国の司法のあり方があまりにも非国際的で前近代的な情緒法で国民の期待通りの判断しかできない点ではないでしょうか?三権分立と言っても三権がそれぞれ一人立ちしていない弱さを見せつけ、国際社会の中で韓国が極めて異質で変質化できない国家であることを見せつけてしまったことに改めて気がついたのではないでしょうか?
菅総理の施政方針演説では韓国が「非常に重要な隣国」から「重要な隣国」へと格下げになり、外交施政の中では韓国は一番最後にサラッと述べただけでありました。また離日した南官杓前駐日韓国大使は菅総理と会えずに終わった点もまた日本の厳しい姿勢の表れなのでしょう。
文大統領は「困惑」などと言っている場合ではなく、ぎりぎりの瀬戸際に追い込まれていることを認識して自己解決策を見出してもらいたいものです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年1月19日の記事より転載させていただきました。