米大統領選の郵便投票が変える世界の選挙制度:現代版「学問のすゝめ」

多田 芳昭

バイデン大統領が正式に就任し、融和を取り戻し、結束に向かうかのように言われることも多いが、事はそんな生易しいものではない。分断は、トランプ大統領が産み出したものではなく、分断があったから誕生した大統領であり、この4年間は分断を見える様にしただけなのだ。即ち、大統領が交代したからといって融和は起きない。アメリカの分断は続くだろう。仮に、見た目に融和したように見えるのなら、それは反対勢力を制覇し抑え込んだに過ぎないので、寧ろ分断したままの方が健全なのである

mstahlphoto/iStock

今回、交代劇が混迷したのは、コロナ禍の大統領選挙で郵便投票が大幅に採用され、不正が疑われたからだ。確かに、セキュリティ管理の立場から言わせて頂くと、今回の郵便投票は制度としては穴だらけで、不正は簡単に行えるだろう。日本ではこの様式で公正な選挙は決して行えないと思う。それでも、例え発覚しなかった不正があったにしても、これを制度として選択し実行した結果なので、結果が覆らないのは当然である。

昨年の大統領選で郵便投票の結果が世界の民主主義に与えた最大の影響は、不正云々関係なく、圧倒的な投票率アップの手法が示されたという事だ。それは、埋もれている票を掘り起こせば簡単に結果を覆すことさえ可能になるという現実を示したのであり、選挙の戦略に少なからぬ影響をもたらした。この事は、民主主義の根底を覆しかねないのだ。

全員参加選挙の時代の序章

世の中は、「サイレントマジョリティ」という物言わぬ大多数で、大部分が構成されている。しかしサイレントなので、世論調査などではカウントされるが、能動的意思表明が必要な選挙ではこれまで大きな票とはならなかった。あくまで、意思を持った「ボーカルマイノリティ」、少数の意見が選挙の結果に大きな影響を有していた。勿論、浮動層の取り込みも重要ではあったが、大勢は固定票で勝負がついていた。

構造的には、ボーカルマイノリティが、サイレンとマジョリティも含めた世論などの意見を汲み取って、見かけの多数派を形成して決定していく。それはそれで、賢明な思考による民主的思考なので機能はしていた。しかし、サイレントマジョリティの票が直接1票として同等に選挙に活きる様になれば、状況は一変する。それこそ、全員参加の選挙に限りなく近づいていくのだ。それが郵便投票、或いはWeb投票という形でもたらされることを世界中に知らしめた。

このことは、表向きは決して悪いことではない。しかし、世の中そんなに簡単ではない。深い思考なく、思いつきや感情的な判断による1票が増えてしまうのも事実で、民主主義が故に好ましからぬ選択をせざるを得ない事態に陥るリスクが増える。そして何より、この層を掌握し、票として固める事が、政治の優先事項となり、最強の策になってしまう。これは民主主義どころか独裁への道なのである。

世界は選挙制度改革に大きく動く

今回の郵便投票は、コロナ禍という事情により実施されたが、投票率を大幅に押し上げた効果を前面に、アフターコロナでも採用される可能性が高い。そして、その延長線上には、Web投票があり、限りなく全員投票に近づく票が動き始める。

CarmenMurillo/iStock

そうなれば、私の観測では、リベラル層が圧倒的に優位になるのではないだろうか。保守層は、それが見えていて選挙制度改革に後ろ向きになるかもしれないが、どこまで抗えるのだろうか、疑問だ。

保守であろうともリベラルであろうとも、それが多数の意見となれば、民主主義のルールとして従うのが当然だ。それが賢明な思考による選択であれば良いが、そうでなければ、不幸な選択となってしまう。そうならない様に、後悔しない様にする為には、民主主義国家の国民が今まで以上に大きな責任を負う覚悟が必要になる。

封建社会から近代国家を目指す明治維新において、福沢諭吉先生は、『学問のすゝめ』で、近代的民主国家に成長する為に、国民に学問を勧め、一人一人が考える力を身に着ける事を促した。

今、時代は大きく変動し、全員参加型の民主主義に限りなく近づいていくだろう。その環境下で、国民が民主主義における本当の意味での責任を果たし、後悔しない為には、刹那的・感情的な思考を控え、科学的・論理的思考を1人でも多くの国民が心がける必要がある。現代版の『学問のすゝめ』が求められるのだ。