語彙力は思考の履歴書、人生の失敗は語彙不足が招いているという事実

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

「言葉」ほど、誰もが気軽に使い、且つ己の身を滅ぼしかねないものはない。適切に使えば問題は起きないが、大きく誤った使い方をすることで、文字通り「たった一言」が人生を悪い方向に変えてしまう恐ろしい力がある。

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言葉の重要性は語彙に宿る。そして語彙不足がもたらす、恐ろしいマイナス要素を語彙不足の人ほど認識できないという皮肉な現実がある。

人生を棒に振る一言を発しないようにし、語彙不足が招くネガティブなファクターを払いのけるためには、語彙力を身につける必要があることを主張したい。

語彙力は「思考の履歴書」である

「顔は履歴書」という言葉がある。つまるところ、これはその人の歩んできた人生が、外面である顔に現れてしまうという話だ。

筆者はこの表現に倣って「語彙力は思考の履歴書である」ことを強く主張したい。その人がそれまでの人生の中で思考してきた道筋や、読書などを通じて蓄えた知性の結晶こそが「語彙力」なのだと考えている。賛否あるだろうが、少なくとも筆者の経験の中でこれまで出会ってきた、酸いも甘いも噛み分ける人生を歩んできたような人たちについていえば、すべからく、コミュニケーションの中で語彙力の豊富さや、卓越した表現力を感じさせてくれたものだ。

思考とは内面の知的活動であり、外から観測できないものと思われそうだが、実はそうではない。なぜなら、書き言葉にせよ、話し言葉にせよ、自分の思考を外部の人達に見える形で発信した時点で「観測可能なその人の内面」だからである。

その人が使う言葉は、その人の内面の現れだ。そのため、どんな言葉を使うかで、その人の内面を知ることができると思うのである。

たった一言にその人物の真の実力が出る

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昨年、とある元GAFA社員を名乗るビジネス系ユーチューバーが経歴詐称で炎上した。経歴詐称で炎上するパターンは人は変われど、大体似たようなものである。華々しい経歴や実績を見せることで、人々を魅了しているのに、彼らが発する言葉のレベルがどこか経歴や実績に見合わないという違和感があるものだ。どこまで言葉で飾っても、分かる人には分かる。

たとえばこのユーチューバーの経歴詐称についていえば、「貸借対照表(タイシャクタイショウヒョウ」を「”チン”シャクタイショウヒョウ」と読んでしまったのだ。たった一言のこの読み間違えによって、モヤモヤした「怪しい」という違和感が、確信に変わったという人も少なくないだろう。

貸借対照表というのは、会社経営をするものであれば知らない人はいない。真剣にビジネスで勝負する経営者ほど、会社の決算書である貸借対照表の上から下の科目まで、しっかりと分析し、経営戦略を考えるからだ。一流グローバル企業勤務を経て起業、年商○○億円!という派手な実績を見せている人物が、そんな最重要の決算書の名前を読み間違えるというのは、その経歴が正しくないことをこれ以上なく示してしまったことになる。

「言い間違い」は生きていれば誰でも犯すものだし、筆者もその例外ではない。だが、この事例はそれには当たらない。本当のプロなら、どう間違っても犯しようがない誤りに相当するからだ。言うなれば、カタコトの日本語を話す目の前の人物が「僕は日本人だ!」と主張しているのに、「日本語」という字を読み間違えるようなものだ。

たった一言に、その人物の真の実力がでてしまうのだ。

語彙不足はダイレクトに人生の難易度を高める

筆者は書籍の商業出版や、ビジネス雑誌への寄稿、そしてネットで文章を書く仕事をしている。ありがたいことに、筆者の文章を読んだ人から「モヤモヤしていた気持ちを、スッキリ言語化してくれてありがたい」と感謝の言葉を頂くことがある。そうした時は嬉しい気持ちになる。そしてこうも考える。「なるほど、ネガティブな気持ちを言語化できないと人はモヤモヤするのか」と。

シンプルな話だ。自分の思考を言語化できなければ、感情的な問題を解決できないことになる。「ネット全盛期なのだから、問題は検索して解決せよ」と言われるが、自分が何に対して気持ちを落としているのかを言語化できなければ、キーワードを入力してググることもできないし、人に相談することもできない。多くの場合、感情的な問題は人に話すだけで解消できてしまう。嫌なことがあっても、相手が話を聞いて共感してくれるだけで、問題の本質が解消されていなくても人の心は救われるのだ。

しかし、語彙不足になると言語化ができないという問題が生じる。そうなると誰かに話して気持ちの共感を得られず、孤独感を深めていくだろう。人によっては解消できない感情が、やがて反社会的な気持ちへとエスカレートしてしまう可能性も否定できない。皮肉なことに言語化の力を持たない人ほど、まさしく語彙不足であるがゆえにその原因にたどり着くことは困難になる。

語彙不足は、人生を歩む上で深刻な問題だ。それを認識することにも語彙が必要となるのだ。そういう意味で義務教育で、半ば強制的に言葉をインプットすることは「有意義な教育だ」と、筆者は感じるのだ。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。