コロナ禍のピープルウォーカーたち

当方も人並みに“コロナ疲れ”を感じてきた。新型コロナウイルスの感染が欧州を襲って1年以上が経過した。コロナの感染状況は依然深刻で、オーストリアは第2ロックダウン(都市封鎖)中だ。8日からそのコロナ規制の一部が緩和され、多くの店舗などの営業は厳しい規制下のもと再開する。学校も同様だ。街は久しぶりに活気を取り戻すだろうが、同時に、英国発のウイルス変異種(B.1.1.7)が更に拡散するかもしれない。ここにきて南アフリカ発の変異種(B.1.351)がチロル州に上陸し、既に165人の感染者が見つかった、というニュースが報じられている。

▲散歩前にFFP2マスクを着用する筆者(2021年2月7日、ウィーンで)

▲散歩前にFFP2マスクを着用する筆者(2021年2月7日、ウィーンで)

当方はYouTubeの日本の都市風景の動画を定期的に観ているが、欧州から見たら日本の都市風景は全く別世界だ。街は多くの人々で溢れ、人々は買物を楽しむ。夜間の開店時間が制限されたとはいえ、日本の都市風景は昔とそう大きく変わっていないのを感じる。日本からの報道によれば、感染者数、死者数が増加してきたというが、欧州と比較すれば、人口比で感染者数、死者数はいずれも低い。日本は不思議な国だ。

頭の中がコロナ、コロナで溢れ、コラムのテーマもいつの間にかコロナ関連になってしまう。そこで早朝5時過ぎ、コロナ疲れの頭を癒すために散歩に出かけた。もちろん、FFP2マスクを着用する。

時間がまだ早いので路上にはほとんど人の姿は見られないが、ジョギングに励む青年に出会う。犬と散歩をする老婦人が通り過ぎた。少し歩くと、猫に出会った。その猫は「不味い所をみられてしまったわ」というように、こちらをチラッと一瞥して歩き続けた。

動物学者によると、猫は飼い主が眠った頃、外に出かけることが多く、その散歩時間は長く、数キロに及ぶことがあるという。長い散歩を終えると、家に戻り、飼い主が起きてくるのを待っている。散歩で出会った猫仲間や風景について誰にも語ることなく、黙っている。ちなみに、犬は猫とは違って独りで勝手に散歩に出かけることはなく、常に飼い主と共にいる。

独週刊誌シュピーゲル(2018年6月9日号)が「散歩」について興味深い記事を書いていた。人間だけが目的がなくても、歩みだす、すなわち、「散歩する存在」だというのだ。そしてその散歩を研究する学問があるというのだ。散歩学は独語で Promenadologie(英 Strollology)と呼ばれ、スイスの社会学者 Lucius Burckhardt が1980年代に考え出し、独カッセル大学で学問として広がっていった。

散歩学は、人が環境をどのように認識し、人と環境の間の相互作用などを分析する学問という。それだけではない。散歩は「何か大きなことを考える手段」となるという。日常茶飯事の出来事や災いに思考を集中せず、宇宙とは、何のために生きるのかなど、喧騒な日々、忘れてしまった「大きなテーマ」について、歩きながら考えるのが散歩学の醍醐味という。

コロナの感染が広まって以来、散歩に対する一般の人の考えが変わったことは間違いない。4つの壁に囲まれた部屋から飛び出し、散歩する人はその途上、考え出すという。コロナがいつまで続くのか、久しく会っていない友人や知人はなにをしているかなどを考える。もちろん、仕事についても考える。人は散歩しながら昔以上に考え出すというのだ「新型肺炎は金正恩氏を哲学者にする」(2020年2月26日参考)というコラムを書いたが、コロナは北朝鮮の独裁者だけではなく、一般の人をも哲学者にする。

昔、文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832年)もデンマークの哲学者セーレン・キュルゲゴール(1813~55年)も、あの“楽聖”ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827年)も毎朝、目が覚めると、朝食前に30分ほど散歩したという。ウィーンの森には「ベートーヴェンの散歩道」と呼ばれる場所がある。彼はその川沿いの道を歩きながら、数多くの名曲を世に出したわけだ。

シュピーゲル誌によると、散歩したくても1人ではしたくない人のために一緒に散歩する人々が出てきた。新しいビジネスだ。一緒に散歩する人は People Walker と呼ばれる“プロの散歩人”だ。一緒に歩きながら、人生の目的や宇宙について語り合う。しかし、コロナ時代、ピーピルウォーカーたちのビジネスも変わってきたかもしれない。散歩前に、コロナに感染していない検査テスト結果(48時間以内)を準備しなければならないからだ。コロナ規制はプロの散歩人にもハードルだ。

当方はプロの散歩人ではないが、太陽がまだ昇らない時間帯の、うす暗い道を一人歩きながら「次のコラムのテーマ」を考える。それも大きなテーマを探しながら、今通り過ぎたばかりの猫の散歩姿に思いを馳せる。コロナ禍で苦闘する人間社会の異変をあの猫は知っているだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年2月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。