ビジネスメールで相手に配慮がない人は「仕事できない人認定」されてしまう根拠

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

筆者は会社経営者の立場だが、取引先とのやり取りはほぼすべてチャットやメールになった(以下、テキストコミュニケーションとする)。出版社やネットメディアなどの取引先へ原稿を送信するケースは以前からオンラインだったが、最近は講演に登壇したりテレビ出演も含めてリモワが中心となった。

こうしたコミュニケーションのほとんどがテキストで始まり、テキストで完結する。地元企業から新規取引について持ちかけられる場合も、以前は飛び込み営業も多かったが最近はオンラインが中心だ。

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新型コロナにより、リモートワークが増えたことで世界的にビジネスコミュニケーションの中心はテキストコミュニケーションが増加した。そして、この変化が新たな問題を引き起こした。相手にコミュニケーションをする上での配慮の有無が、ビジネスチャンスを得られるかどうかの分水嶺になっていると感じるのだ。

つまり、その人の本来持っているビジネススキルや経験以前に、テキストの「マナー」で差がついているということだ。これは配慮、つまりマナーの範疇であって、「卓越した文章力」でないことに特別の留意する必要があるだろう。

 仕事のできない人はメールの文面に配慮がない

東洋経済オンラインに「仕事のできない人はメールの文面に配慮がない」という記事が掲載された。同記事内では、次の点において重要性が説かれている。

・相手が難解に感じない言葉選び

・時間を置いて読み直した上で送る

同感だ。語彙力は個人差が大きい。テキストを書く側からすると「常識だ」と思っていても、受け取る側からすると未知の語彙に感じるケースは存在する。その場合、読み手がイチイチ読解の上で引っかかりを覚えるので、ビジネスの効率性を落とす。

ビジネスコミュニケーションの本質は「ムダを省く」ことにある。無用なやり取りを増やしたり、読み手に読解させる負担を強いるなら、効率的なビジネスコミュニケーションにはならない。

また、重要なテキストは時間を置いて読み直す、というのは極めて重要なファクターだ。重要な文章は書き終えた直後の質は決して高くない。文章を書いていると、気分のノッて筆の勢いも高まる。その結果、行間が抜けてしまう文章になり、読み手に「肝心の主張部分が伝わってこない」とか「言葉の配慮が足りない」といった不満が起こりえる。

具体例で言えば、筆者は過去に相手にお願いをするメールを書く上で、アツい気持ちを込めるあまり、「よろしくお願いします!」と文末に「!」をつけた。その結果、読み手は「相手は怒っている!?」と誤解させてしまったことがあった。人によっては「!」を怒りや緊急性のバロメーターと認識する場合もあるので、テキストコミュニケーションは感嘆符の使い方一つも気をつける必要があるだろう。

これも相手への配慮の一つだ。

 一番マズいのは「相手の名前」を間違えること

中でも、相手への配慮不足で最大の問題は、相手の社名やサービス、氏名を間違えるケースだ。これはかなり深刻な配慮不足と言えよう。筆者が過去にやり取りした人物は、メディア編集者だったのだが、この人物から頻繁に名前を間違えられてしまった。

「すいません、名前は「黒坂岳”夫”」ではなく、「黒坂岳”央”」です」と伝えて、「申し訳ありませんでした!」と次回から送られてくるメールの名前は修正された。…だが、寄稿した原稿の執筆者名が「黒坂岳夫」として掲載されており、驚かされた経験がある。

また、意外と配慮不足になりがちなのが、相手の英語の社名だ。一例として「Youtube」「ユーチューブ」と書いてしまう人が多いが、正確には「YouTube」である。大文字・小文字や記号の誤りにも気を配る必要がある。ビジネスでやり取りする上で、相手の氏名、サービス名や企業名を間違えると「軽んじられている」とネガティブな印象を与えてしまいかねない。

筆者がやっている対策としては、先方の名称は必ず、「コピー&ペースト」するようにしている。その際、フォントサイズや書体などもコピーされないよう、テキスト形式で行うことが必須だ。こうすれば相手の氏名がコンピュータで変換できない旧漢字である場合など、特殊なケースを除けば入力を間違えてしまうことは原則なくなるだろう。

「仕事の神様は細部に宿る」と言われるが、テキストコミュニケーションで相手へ配慮がない人は、こちらの事情を汲み取らず、一方的に自社の都合を押し付けるなど、例外なくリアルの場における対面でも配慮がない。筆者は初回のやり取りをする上で、あまりに配慮不足な提案は受けないようにしている。

リモワが広がる中で、配慮不足のテキストコミュニケーションをやらかしてしまう人は、結局ビジネスの成果をあげられないので自分に返ってきてしまう。世の中にはマナー講師の仕事を確保するためだけに作られたとした思えない奇矯なマナーが登場している。だが、テキストコミュニケーションにおけるマナーの重要性は高いだろう。