金融機関に働く人のプロフェッショナル化

投資運用業はプロフェッショナル業である。プロフェッショナルとは、サービスの結果を保証しえないが故に、専門的知見を有するものとして、自己の能力の全てを投じ、常に自己研鑽に励み、専らに顧客のために働くことをもって、サービスの質を保証するものである。その代表は医師と弁護士である。

医療行為においては、いかなる治療方法の選択も、程度の差こそあれ、患者の生命にかかわる不確実な危険を内包している。弁護士の訴訟戦術の選択にも、資産運用に携わるものの投資判断にも、結果の帰趨を左右する危険をともなう。要は、プロフェッショナルの判断は賭けなのである。同様に、資産運用に携わるものは、結果を保証し得ないなかで、不確実な未来について投資判断を行う以上は、賭けを行うものとしてプロフェッショナルなのである。

しかし、日本では、組織的意思決定という幻想のもとでプロフェッショナル個人の賭けが排除され、組織の責任という虚構のもとで共同無責任が正当化されている。いわゆるサラリーマン運用なのである。これでは付加価値は生む業として成立し得ない。

故に、金融庁が資産運用の高度化の名のもとで投資運用業の抜本的改革を求めたとき、その答えはプロフェッショナル化に決まっていたのである。その方法は、プロフェッショナルが個人である以上、別に妙案や奇策があるわけでもなく、資産運用に携わるもの全てに対して、プロフェッショナルとしての覚醒を促し、厳しい自己統制のもとで、賭ける能力を養ってもらうほかない。

金融庁は、資産運用の高度化というとき、銀行や保険会社等の金融機関自身による資産運用も含めている。なぜなら、日本の金融構造では、投資運用業者全体の運用資産額よりも、金融機関の資産運用額のほうが大きく、その高度化は、資本市場の機能強化による資金の好循環を目指す政府にとって、政策的に大きな意味をもつからである。つまり、自己財産を運用する金融機関等も含めて、資産運用に携わる個人全てについて、プロフェッショナルとしての意識改革が求められるということである。

実は、銀行等の本業である融資業務においても、賭けの要素は不可避である。銀行等の融資は、社債への投資と同じ金融機能を演じていて、融資は広義の資産運用における一つの投資対象にすぎないからである。このことは、金融庁自身、事業性評価という表現で明らかにしていることである。

金融庁のいう事業性評価に基づく融資というのは、過去の経営指標等から高い蓋然性で信用審査ができる融資を超えて、将来の不確実な収益性を評価して行う融資のことだから、資産運用の理念と同じことで、明らかに、大きな賭けの要素を含むのである。ならば、この賭けは、銀行等の組織としてなされるものではなく、プロフェッショナルとしての高度な知見をもつ個人として、なされなければならないのである。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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