昨日、ネットで炎上していた「#変わる男たち」というイベント。荻上チキさんが司会で、約20名の男性が意見を表明するというもの。
「Don’t Be Silent #変わる男たち」の仕切り直しと再考に関して
ただ、次のような批判が巻きおこり、企画は再考となった(一部はこの主催者の釈明にも触れられている)。
・出演予定者に企画概要の説明が十分ではなかった(複数の、著名な出演予定者が、経緯をツイートしている 出演するのに悩んだことなども)
・男性だけで語ることについて、そこに権力性を強く感じないか。威圧的に感じないか。
・出演者に明らかに不適切な人や、このテーマを話すべきではない人がいるのではないか(ここでは詳細を記述しない)。
個人的には(私の読解力かもしれないが)、この企画を完全に誤解していた。司会は荻上チキさんの予定だったのだが、あたかも彼がプロデュースして声をあげたのかと思っていた。ただ、彼が男だらけの企画を自らするとも思えず、首をかしげていた。彼じゃなくても、一部の出演者の顔ぶれをみて、彼らの意向が強く反映されているのではないかとも思っていた。ただ、出演者の釈明ツイートをみて、「どうなっているのだろう」と思った次第だ。
Twitterで賛否の声を読んだが・・・。この釈明文自体は胸をうつものだといえるだろう。説明しようとしている。その点では評価できる。想いもわかる。ただ、人選の基準など、批判を受けた点ついての記述が十分ではない)。
気をつけないとこのような「謝罪ポエム」として、読まれてしまう。淡々と事実を述べるべきではなかったか。
別の観点で、私がこの企画に限らず、最近多い(・・・乱発される?)You Tubeやクラブハウスなどでのイベントについて思うことを。この企画は、論者と、彼ら彼女たちとの信頼を使い潰していると思った次第だ。(想いはわかったが結果として)雑な依頼、それにより登壇予定者に様々な迷惑がかかったことなどを直視しなくてはならない。才能にリスペクトしない社会。ものをつくる人、言う人を雑に扱う社会。私はこの点について問題提起したい。そもそも20名に話を聞くという企画自体、豪華なようで雑だ。「自戒をこめて話法」や、出演によってギルティーフリーになることもまかり通りそうだし。
もっとも、「(私自身がなんでも仕事を受けることによって)お前がそういう土壌をつくっていないか」という批判は真摯に受け止める。
オワコンの常見が意識高い系たたいて、ひがんでいるとか思うんだろうな。あぁ、言えよ、いくらでも。この手の番組に何度も呼ばれたが、私自身、相当雑に扱われてきた。こいつは実は腰が低くて、何を言っても大丈夫だ、叩いてもいい人だ、と。
くれぐれも言うが「だからこのテーマを論じるのは”怖い”」という風潮は避けたいところである。クローズドな場で話をする際、男女関係なく「このテーマで語ると叩かれるからね」と。もっとも、その叩かれる理由もわかるのだけど。
働く男たちは「育児のモヤモヤ」をもっと語っていいんじゃないか問題
海猫沢めろん先生、宮川サトシ先生と、このイベントの第2弾をやろうと思っていたのだけどな。3人だけど、男だらけだから叩かれるかな。
私自身、この一連の騒動をみて、またすっかり萎縮してしまった。それでも、なんとか立ち直ろうと、昨日は勇気を振り絞ってクラブハウスの部屋をひらき、30分間のアジ演説をしたのだが。集まってくれた皆さんに感謝。さ、今日も家事に、育児に、仕事。かぎりなく専業に近い主夫としての日々は続く。
編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2021年2月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。