「アブラハム家」3代の物語

2021年02月11日 17:00

今回もコロナ疲れを癒すために、旧約聖書の「アブラハムの話」を紹介する。約4000年前の物語だ。

▲レンブラントの1634年の作「アブラハムとイサク」(ウィキぺディアから)

▲レンブラントの1634年の作「アブラハムとイサク」(ウィキぺディアから)

アブラハムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大唯一神教から「信仰の祖」と呼ばれている人物だ。アブラハムを無視してユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教は考えられない。イスラム教の創設者ムハンマド(570年頃~632年)は「アブラハムから始まった神への信仰はユダヤ教、パウロのキリスト教では成就できなかった」と指摘し、「自分はアブラハムの願いを継承した最後の預言者」と受け取っていたほどだ。アブラハムはそれほど世界3大宗教に大きな影響を与えてきた。アブラハムはヘブライ語で「多数の父」を意味する。

ところで、3大宗教の「信仰の祖」アブラハムの歩みには多くの謎や不明な点がある。異教の地から神に召されたアブラハムは、神から「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう」(創世記12章)と祝福された。神の祝福を受けたアブラハムはその神の約束を素直に受け、カルデヤのウルから出て神の示す地に出かける。彼は、どこへ?なぜ?と問わない。その点、3代目のヤコブとは違った。神はアブラハムの信仰をテストしたが、ヤコブは神の祝福を受けた直後、「もしもその祝福が実現したら、あなたは私の神となる」と述べ、神をテストしている。そのヤコブからイスラエルという名前が生まれてきたのだ。

アブラハムには妻サライ(正妻)がいたが、年を取り子供はいなかった。そこでサラはつかえめのハガルにアブラハムの子供を産むように勧める。その話を読めば、「神はアブラハムを祝福し、多くの子孫を約束したのにもかかわらず、その妻サライ(のちにサラ)が子供を産めないで老いたなら、神の祝福はどうして成就するだろうか」と当然疑問をもつだろう。創世記の書き手は読者のその疑問を計算の上で書き進めている。

アブラハムはハガルとの間で息子イシマエルを得る。イシマエルはアラブの先祖だ。神はサラにも1人の息子イサクを与える。神は正妻のサラから生まれたイサクを通じて神の計画を展開させる一方、ハガルとイシマエルに対しても「将来、大きな民族として栄えるだろう」と祝福している。イシマエルから派生したアラブでイスラム教が生まれ、今日、世界に広がっているわけだ。

その後、神はアブラハムに一人息子イサクを燔祭として捧げるように命じる。アブラハムはそれを受け入れ、イサクを供え物にするために山に登る。ここで不思議な点は、アブラハムはなぜ神に「供え物は子羊ではだめですか」とディールをしなかったかだ。アブラハムは、神が罪の街となったソドムとゴモラを亡ぼそうとされた時、神と取引した最初の人間だったのだ(「トランプ氏とアブラハムの『交渉術』」2019年10月16日参考)。

以下、創世記18章29~33節を紹介する。

アブラハムは神の命令を受け、家族と弟の子ロトを連れ、ハランの地からカナンに向かった。神が不義に満ちたソドムとゴモラを滅ぼそうとした時、アブラハムは神に「その地に50人の義人がいたら、あなたはその町を滅ぼしますか」と尋ねた。神は「50人の義人がいれば、その地を滅ぼさない」と約束する、アブラハムは更に「50人より5人少ない場合はどうですか」と恐れ恐れ聞くと、神は「45人の義人のためにその地を滅ぼさない」と述べた。

神の答えに鼓舞されたアブラハムは「40人だったらどうしますか」と尋ねると、神は「その40人のためにその地を滅ぼさない」と語る、アブラハムは「20人」、そして「10人」とそのハードルを下げた。すると、神はその度にアブラハムの願いを受け入れた。しかし、その地には10人の義人すらいなかったので最終的に「硫黄と火」が天から降って、都市は滅ぼされた。

そのアブラハムは、神が唯一の息子イサクを燔祭するように命じた時、神に「なぜか」と問いかけることもせず、ノー・ディールで直ぐに受け入れているのだ。読み手は「神はアブラハムの家庭に何か重要な計画があるのではないか」と関心を深めていく。アブラハムは3日間、イサクを連れてモリヤの地を彷徨う。

米イェール大学の聖書学者、クリスティーネ・ヘイス教授は、アブラハムとイサクを描いた創世記のこの箇所を「文学的に最高のシーンだ。その描写はパワフルであり、非常に印象深い」と評している。すなわち、創世記の書き手は読者の関心をいやが上にも高める筆力を有した人間だというのだ。

神はアブラハムがイサクを供え物にしようとした瞬間、「あなたの信仰を今知った」として止め、イサクの代わりに雄羊を燔祭にさせている。ちなみに、イスラム教でもイサクの燔祭と関連した「犠牲祭」を毎年盛大に祝う。

神が祝福したイサクからヤコブが生まれた。ヤコブは母親の助けを受け、イサクから神の祝福を受けた。そのため、イサクの長男エソウは弟ヤコブを憎み、殺そうとしたので、母親の兄ラバンの所に逃げる。そこで21年間、苦労しながら、家族と財産を得て、エソウがいる地に戻る。その途中、夢の中で天使と格闘し、勝利する。その時、神はヤコブに現れ、「イスラエル」という名称を与えている。

ヘイス教授は、「名前を変えるということは、その人間の性格が変わったことを意味する」と解釈している。すなわち、ヤコブは21年間、伯父ラバンの下で苦労した後、謙虚になり、信仰を深めていったわけだ。そこで神はヤコブに将来の選民の基盤が出来たとして「イスラエル」という名前を与えたというわけだ。故郷にもどったヤコブは、エソウと再会し、和解している。アダム家の長男カインが弟アベルを殺害して以来続いてきた兄弟間の葛藤はこの時、初めて和解できたわけだ。

アブラハムから派生した3大宗教で最後のイスラム教は、「アブラハムはイスラム教徒であり、神もイスラム教徒だ」と信じている。アブラハムの祝福をユダヤ教徒は不信し、パウロのキリスト信者は異教徒となったが、イスラム教はその祝福を成就する本来の使命を受けた宗教だ、という意味合いが含まれている。ちなみに、イスラム教徒の地アラブのキリスト者、ダマスコ(ダマスカス)の聖ヨハネ(676~749年)は、「イスラム教は人間を神の子というより、神の奉仕者と考えている」とキリスト教徒との違いを指摘している。

3大宗教は時代の経過と共にその教義で違いが出ていくが、全てがアブラハムから始まった、という点では変わらない。3大宗教の再統合は、それゆえにアブラハムに戻る以外にないわけだ。

蛇足だが、ユダヤ教から生まれたキリスト教は初期、“ユダヤ教のセクト”と受け取られ、イスラム教の場合は“キリスト教のセクト”と考えられてきた。その両宗教にとって、アブラハムから派生した教えであり、「アブラハム・イサク・ヤコブの神」を強調することで、その教えに権威付けができたわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年2月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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