森発言の「森」を見よ! 辞任の必要などないのだ

高橋 克己

東京オリパラ大会組織委員長の森喜朗氏が女性蔑視の発言をしたとされる件は、大会ボランティアや著名人聖火ランナーが辞退したり、スポンサーから非難声明が出されたり、海外から「性差別の論争に火をつけるリスクを冒した」と報道されたりで、11日、森氏が辞意を固めたと報じられる騒ぎになった。

森喜朗氏 NHKより

筆者は「森さん、またやったか」と傍観していたが、取消して謝罪したというのに委員長辞任となれば話が違ってくる。そこで、森氏が一体何と言ったか、発言のどの部分が、どの様な理由で、どう言う物議を醸しているのかなど、まずは正確なところを知ろうとネットで調べてみた。

この件の第一報を当日18:04に発した朝日デジタル「『女性がたくさん入っている会議は時間かかる』森喜朗氏」を見ると、該当部分の全文書き起こしが482文字で載っていた。比較のために4日のスポニチ(毎日系)「森喜朗会長の3日の“女性蔑視”発言全文」**を当たると、これは514字ある。

さらに正確を期すために4日の日刊スポーツ(朝日系)「森会長『NHKは動かないと』発言全文」に当たると、こちらはご苦労なことに発言全体が8,200余字に起こされていて、該当部分は359字に過ぎない。だからこそこの見出しになったのだろう。このことは重要なので後にも触れる。

本文と発言の当該部全文とに分かれている朝日記事が、当該発言部を本文に「」書きで引用したのは以下の4カ所だ。他紙も含めた多くの読者は、見出しや本文が「」書きする部分で発言の是非を判断するように思われる。

  1. 「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」
  2. 「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」
  3. 「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困ると言っておられた。だれが言ったとは言わないが」
  4. 「私どもの組織委員会に女性は7人くらいか。7人くらいおりますが、みなさん、わきまえておられて」

まず①の文章は他の二紙も朝日と同じ。だが朝日が当該部全文で「女性理事を選ぶというのは」とした、本文の「」にない①の直前部は、スポニチと日刊では「女性理事を4割というのは」となっている。つまり、朝日は「4割」を抜いて代わりに「選ぶ」とした。聞き違える語ではなかろうに。

朝日の②「女性っていうのは競争意識が強い」は、スポニチにも日刊にも「女性っていうのは優れているところですが、競争意識が強い」とある。ここでもなぜか朝日は「優れているところですが」との、森氏が女性を高く評価しているとても重要な部分を、故意か偶然か抜かしているようだ。

朝日の③「・・言っておられた。誰が言ったとは言わないが」(スポニチも同じ)は、他人の発言の紹介で森発言ではないから問題になるまい。が、日刊は「困る」以下の「と言っておられた。誰が言ったかは言わないが」を抜かす大ポカ。これでは森氏自身が「困る」と言ったことになってしまう。

④の後には、朝日全文では「ですから、お話もシュッとして、的を射た、そういう我々は非常に役立っておりますが。次は女性を選ぼうと、そういうわけであります」と続くが、本文に「」書きしていない。日刊はここも書き落とすが、スポニチには「欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです」とある。

確かに森氏はこの500字前後の発言で、①や②の通り女性蔑視とも受け取れる一説を述べている。が、②や④の括りの発言は、むしろ森氏の女性への敬意を窺がわせる。切り取り報道という「木」でなく、発言全体という「森」を見れば、辞任の必要などないと筆者は思う。ワシントンポスト紙によるジョージア州務長官へのトランプ電話報道を想起した。

以上から発言の「木」だけを整理すると、「女性は競争意識が強い」から「みんなが発言する」ので「会議に時間がかかる」となる。が、これとて森氏の長い人生経験やいく度となくそういう場面に居合わせた体験からの女性認識であって、彼がそう思うことを誰も難じることはできまい。

なぜなら森氏が女性に対してこのような認識を持ったとしても、心に思うだけで口に出さなければ、それを他者が知ることはないから、物議のネタにはならない。そこで問題は、森氏の旺盛なサービス精神と、思ったことを口にしてしまう正直さということになろう。

森氏のサービス精神は、病を押してこの骨の折れる職責をボランティアで引き受けていることからも知れる。思ったことを口にするのも彼の正直さの証と思う。心にもないお追従や面従腹背など筆者も好かない。但し、これらにTPOがあることは厳に弁えねばなるまい。

その意味で確かに森さんは余計なことまで言ってしまったと筆者も思う。特にJOC会議などは最たる拙い場で、メディアも発言の言葉尻を狙っていよう。案の定、「女性差別」として標的になった。だが、取り消して謝ったのだからそう騒ぎなさんな、と思うのになぜそうならないのだろうか。

その理由には、1. 森発言が、故意か偶然かは別として、「書き起こし漏れ」や「抜かし報道」などによって正確に報じられていないこと、2. 森氏や安倍前総理らを快く思わず、言葉尻を捉えて難じようとする一派が存在すること、3. 世界中の過度なポリコレやジェンダーの風潮、などがあげられよう。

  1. と2. はしばしば連動する。発言の書き起こしが三紙三様となると、どれを読むかで読者の判断が変わる。話し手や書き手の真意をどう汲み取るかは受手の能力だ。つまり森発言を「女性蔑視」と約するかあるいは「NHKは動かない」と約するか。が、記事が「木」だけなら受手は騙されるしかない。

朝日は別記事で、提携先のニューヨークタイムズ(NYT)が「『会議の中で誰も異論を唱えなかったことへの不快感を表明する声もあった』と紹介した」ことを報じた。が、NYTは8,200字の発言全体を報じたか。すなわち、流れの中の異論が出ない程度の発言だったことを。

今回の森氏の発言に非があったとすれば、それはTPOを弁えなかったことだけではなかろうか。組織委員会の女性7人が良いお手本だったはずなのに。「木」(それも模造の)を見て「森」を見ないバッシングで森氏が職を追われるなら、それは我が国の損失であり、恥でもある、と筆者は思う。