格差イベント:バレンタインデー

チョコレートは好きだ。しかし、バレンタインデーは苦手である。

今朝、妻から

「あれ、今日、バレンタインデー?忘れてたー。ごめんね」言われた。妻がバレンタインデーを忘れていたことにはまったく怒っていないのだが、むしろ自分に対して腹がたった。

「あ、バレンタインデー、いらないから。国際的格差に基づいたチョコレートビジネス、児童労働の問題、関係性の格差の可視化、男性像と女性像の固定化、義理チョコという名の義務チョコ、その義理・義務チョコすら渡せない経済の格差、コロナ禍の中チョコを渡そうとすることによる物流現場の疲弊など数々の問題をはらんだイベントだから」と伝えるのを忘れていたことにむしろ後悔した。

コロナ禍の中、チョコレートを渡すのも一苦労だ。いまや「友チョコ」という、仲間同士で配るというスタイルまであるが、そこでも友達がいるかどうかが可視化される残酷なイベントである。仲間からの同調圧力もある。さらには、そもそもチョコを渡すだけの経済的余裕があるのかという問題もある。以前は、モテか非モテかの格差イベントだったが、友達格差、渡す側の経済的格差まで可視化するのである。

世界はいま、感染症の爆発的拡大と経済的混乱の深刻化という未曽有の歴史的危機に覆われている。全世界の労働者は、上に立つ者の棄民的スタンス、無慈悲な犠牲強要のゆえに、貧窮のどん底に突き落とされる危機に直面している。おびただしい労働者が路頭に投げ出されるリスクを抱えている。そうなってはならないし、そのための対策をむしろ政治家や経営者には期待したのだが。

コロナ禍はこれまでの生き方、働き方を見直す機会でもある。ぜひ、これを機会にバレンタインデーというもののあり方を見直したい。

もっとも、チョコレートの原材料、チョコレート菓子をつくり、売る者に罪はない。変革するために魂を戦闘的に高揚させるのだ。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2021年2月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。