コロナで考える「お上の事には間違いはございますまいから」--- 室賀 栄助

「お上の事には間違いはございますまいから」

森鴎外の『最後の一句』で、役人に主人公いちが言い放った言葉である。

いちは、お上の無謬性を信じていたのではなく、命がけで役人に抗議しているのだ。鴎外は、いちにそう言わせることによって、長いものには巻かれろという事大主義を鋭く批判している。

「お上に間違いはない」と思っている人があまりにも多い

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翻って、一連の新型コロナ騒動を顧みると「お上の事には間違いはない」と思っている人があまりにも多いことに暗澹たる気持ちになる。私も通常ならお上の事に一々反対するつもりはなく、公的機関の発表も一応は信頼している。しかし、新型コロナの感染メカニズムや感染対策に関して、合理的に考えると矛盾が多すぎて信用できないものが多い。納得できないのに対策を取らざるを得ないジレンマをどう解消したらよいだろうか。

公的機関をはじめとして、商工会議所や各種業界団体など、ある程度の人数が所属する団体では、新型コロナは「大変恐ろしい感染症なので、感染対策を徹底する必要がある」というスタンスで運営されているが、一年を経過して被害の実態はワクチンや治療薬があるとされているインフルエンザと比較する必要もあると考えている。ワクチン先行接種が始まり、感染収束への緒が見えてきた現状では、少しずつではあるが本音を語る声が出てきているのではないだろうか。

現状の感染対策は過剰だと表明しよう

そこで新型コロナ騒動を収束させるため「今のところ多くの人が新型コロナウイルス感染を恐れているので感染対策はとるが、現状の感染対策は過剰だと思っている」という表明を皆でしようではないか。そこには少しばかりの勇気が必要かもしれないが、春に向かって必ず潮目は変わる。世間の風潮に乗っかっておけば軋轢も生まれないし楽だとは思うが、納得できないものには、納得できないと言える世界が今必要とされている。

新型コロナに対する人々の不安感は、主にテレビメディアによる警告から醸成されたことは間違いない。危機に際しての警告は、阪神淡路大震災や東日本大震災、繰り返される台風被害で多くの犠牲者が出たことで、年を追う毎に過剰になり、特に2011年以降、警報の手法が明確に変化した。避難を連呼したり、その筋の専門家のコメントを繰り返し紹介するというものがパターン化した。

新型コロナ問題を教訓

災害の避難指示は内閣府も「空振りをおそれず早めに出すこと」と強調しており、必要なことである。実際、空振りに終わってもそれほどのデメリットはないが、残念なのは同様の手法を新型コロナに適用し続けるとどうなるか、という洞察力が決定的に欠如していることだ。

今回の件で、テレビや新聞といったオールドメディアに対する不信感を持つようになった人は多い。両論併記ではなく最悪の状況を前提とした報道しかできないのが、マスコミの宿命だろう。新型コロナ危機を煽ることで、結果的にマスコミの不信感を煽ってしまった。

コロナ関連の情報を何かおかしいと思っても、裏付けが取れなければ自信を持った判断ができない。現代では一部の人は玉石混交ではあるもののインターネットから情報を検索し精査できるが、30年前にこの様な騒動が起こっていたらどうなっていただろう。お上からの情報をそのまま受け入れてしまう事大主義を克服することは、新型コロナ問題を教訓に我々に課せられた使命ではないだろうか。ネットメディアがそのツールとなることを切に望みたい。

室賀 栄助(むろが えいすけ)長野・善光寺門前に店舗を構える創業元文元年(1736年)の七味唐辛子メーカー八幡屋礒五郎九代目