リベラルなのに控えめな態度
森喜朗氏に対して「女性蔑視」「人権侵害」と声を上げる人達(リベラルと呼んでも差し支えない)は何故、中国共産党によるウイグル自治区における人権侵害に対して声を上げないのかと批判されている。
これに対する一つの回答として弁護士の渡辺輝人氏による「『ウイグルがー』を言う人には、さすがに我が国がウイグル難民を受け入れる度量は持っていて欲しい。」がある。
思想的にネット右翼でも良いから、「ウイグルがー」を言う人には、さすがに我が国がウイグル難民を受け入れる度量は持っていて欲しい。
— 渡辺輝人 (@nabeteru1Q78) February 13, 2021
渡辺氏の回答は「生活困窮者の救済に声を上げるならば、生活困窮者を養う度量を持っていてほしい」と同じである。人権侵害に対して声を上げることは度量の問題ではないはずだ。
筆者は昔からリベラルと呼ばれる人達が中国共産党に対して控えめな態度しかとらないことに不満をもっていた。中国共産党は自由社会の挑戦者に他ならない。
中国共産党に対して控えめな態度しかとれない者が「女性蔑視」「人権侵害」「反差別」「寛容」を主張してもまるで説得力はない。
自分はリベラルという自覚がある者は、中国共産党に抵抗すべきである。
国内における中国共産党の影響力の除去
「中国共産党に抵抗し勝利する」という理想を実現するためにまず現実を踏まえる必要がある。現実を踏まえてこその理想である。我々が踏まえる現実とは日本国内における中国共産党の活動である。
コロナ禍とはいえ中国共産党党員とその周辺者・協力者が日本国内に全く存在しないと考える者はおるまい。
「外国による攻撃」とは物理手段に限られない。非物理手段による攻撃もあり得る。
そして中国共産党は20世紀末から「超限戦」と呼ばれる非物理手段による攻撃を研究しており、その水準は世界有数と言われる。
アメリカは中国共産党の非物理手段による攻撃を安全保障上の脅威と認識し、トランプ前大統領の時代から積極的に対抗措置を講じてきた。バイデン現大統領もこの路線を継承するという。
日本政府もアメリカを見習い国内にいる中国共産党党員とその周辺者・協力者の実態調査を行い安全保障上の利益を害する行為、憲法で規定された統治機構の運営を害する行為をした党員らを国外退去若しくは無力化(銀行取引の制限、監視下に置く等)すべきである。
別に徹底的に逮捕して刑務所に入れろと主張しているわけではない。
また、対政府には公共性を、対国民には自由や権利を強調し「聖域」化した業界・組織は中国共産党党員らの対日活動の拠点となる危険がある。
「聖域」の見直しは「改革」の文脈で実現できる。要するに平成初頭から蓄積された政治ノウハウを活用するだけで良いのである。
「中国共産党に抵抗し勝利する」という理想に向けての第一歩として日本国内における中国共産党の影響力を除去すべきである。
自由主義的価値観の優位性を意識する
次に踏まえる現実は、自由主義的価値観の優位性である。
中国共産党が統治する中国は超大国であるが、国際社会から高く評価されているとはとても言えない。
やはり独裁・独善主義は国際社会から支持されない。どんなに富があってもどんなに軍事力があっても独裁・独善主義は世界から疎まれるのである。一度、世界に拡散した自由主義的価値観が消滅することはなく、独裁・独善主義は常に嫌悪の対象となるだろう。
確かにコロナ禍により自由主義的価値観は重大な挑戦を受けているがやはり消滅するとは考えにくい。これからも主流思想に違いない。
だから日本は自由主義的価値観の優位性をもっと意識すべきだし、アメリカ以外の自由主義国家との安全保障上の連携を積極的に行うべきである。連携強化のために憲法9条が支障となるならば解釈変更も躊躇すべきではない。集団的自衛権の全面行使解禁の可能性も常に探るべきである。
重要なことは、日本が中国共産党にとって思想的脅威になることである。
思想的脅威は軍事力でも破壊できない。独裁政党にとって統治下にある人民の生活水準をどれほど向上させてもやはり自由主義的価値観は最大の脅威ではないだろうか。
破局を避けるためにも
中国共産党が統治する中国は超大国である。強力な相手に違いない。抵抗は長期戦になるだろうが、抵抗するだけの価値はある。というよりも抵抗しなければただただ押され、ある日、突然、破局を迎える可能性がある。今、我々日本人が享受している自由・人権・平和を維持するだけでも特別な体制が求められるしリベラルもそれについて論ずるべきである。
反論・反撃してこない日本政府には強気で中国共産党には控えめという態度はリベラルではない。卑怯を通り越して「侵略の呼び水」「虐殺の間接支援者」という批判を受けるだけだろう。