個性ある人生

小学校の低学年の頃、団地を見たとき、「自分はそこには住みたくない」と強く思ったのを覚えています。その理由が自分の中で明白になってきたのはもう少し後の年齢になってからでした。「人はそれぞれ個性を持っているのにここは全て同じ枠組みで囲いこむような世界がある」と。

pixdeluxe/iStock

私の小学校時代は個性を引き出す教育も機会も少なかったと思います。中学校は激しい受験闘争でした。人生にパッと閃きができたのが高校時代でした。私立でクラス40数名に確かサラリーマンの家庭は数人だけであとは様々な背景を持っている家庭の人でした。ここで多くの個性と枠にはまらない人たちに出会ったような気がします。

就職後も私はラッキーなことにいわゆる大組織の駒にも歯車にもなることはありませんでした。ゼネコンの現場勤務の時も技術系社員が中心で事務系は常に私一人しかいません。つまり、誰かの厳しい管理を受けることはなく、個性が育まれていきます。

自販機を買って清涼飲料水を現場の職人に売りまくって裏金を作り、所員とグルメ旅行やゴルフ旅行に行くといったやんちゃはごく一例でしょう。不動産本部や秘書時代は完全に他の社員とは別世界を歩んでいたし、バンクーバーに赴任すると日本の親会社から債務超過300億円の不良息子のような会社を押し付けられ、本社からは「お前の手腕にかかっている」と懇願される始末でした。(その300億円の債務超過は最後に消しました。)これだけでも本が書けます。

2004年に独立する時にふと頭をよぎったのが「個人の年収1億円を目指す」でした。なぜ、1億円かといえば当時、日本の上場会社のトップ経営陣でも1億円の報酬をもらう人はまだ少なく、それが経営者の成績表ならばそれを目指そうと思ったのです。

残念ながら全然到達できていません。それは年収1億円になる事業ネタが足りないからです。私の場合は不動産がベースですから一つの不動産事業からの「上がり」はある程度決まっていてそれ以上得るには数を増やすしかないのです。そのために給与を増やすより投資をし続けるしかないのです。

しかし、私はお金持ちになりたいわけじゃないのです。年収1億円は単なる数字としての目標の一つであって、毎回開発する不動産事業にユニークさと時代の要請を取り込みながらチャレンジすることが楽しいのです。

タイトルに「個性ある人生」と書きました。結局、全天候型、総合週刊誌的なものじゃダメなんだ、ということかと思うのです。自分で何になりたいのか、どうしたいのか、ということは大学生時代からずっと悩み、考え、試行錯誤し、今に至っています。今この歳になって少しずつ、自分の向かう鋭い刃先が見えてきた気がします。人生なんてそれぐらいわからないものだし、人生の駒を進めながら軌道修正を何度も繰り返す勇気が必要だと思うのです。

孫正義氏を嫌いな方は多いのは知っています。しかし、彼の生き方は私のような経営者には非常に刺激が多いのです。特に彼のように頭脳明晰、行動派で若い時から山師のようなところは学んでできるものでもありませんが、私も遅咲きながら学びの階段をずっと登っています。大ジャンプは買収して起業した時ですが、それ以外はエレベーターやエスカレーターは一度もなく、一歩ずつ登っています。

最近若い方で起業して成功して第三者に売却してそれなりの資金を手に入れた時点で成長が止まる人が非常に多くなっています。エスカレーターで上がってせっかく人より早く上に着いたのにそこで何年も立ち往生したり、時としてそこから下ってしまう人もいます。もったいないと思います。

家から遠くないところに登り4キロほどの山登りをする有名な山があります。そこは下り禁止なので一旦山に入るとゴールの頂上まで必ず行かねばならないのです。山は急斜面で這いつくばりながら登るところも多く、途中、景色も雑木林だけでまったく見えません。人生なんてこんなもんなのです。そして最後、頂上に来るとパーッと開けて目の前に広がるその眺望に「おおっー」って叫びたくなるような感じです。

あまり足が遅いとゴールに着いたとき、よぼよぼのジジィになっていて人生、楽しめないかもしれないので少し足を速めながらも着実に歩を進めてメリハリを楽しんでみたいと思う今日この頃です。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年2月21日の記事より転載させていただきました。