かつて「原発事故で死亡者は出ていない」と発言した政治家がいたが、実際は全く違った。原発から4.5キロの双葉病院では、自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動ができず、約50人が衰弱して亡くなった。当時の記憶を訪ね歩きました https://t.co/u7NQoxqk20
— 小手川太朗/記者 (@tarokote) February 17, 2021
ネット上で、この記事が激しい批判を浴びている。朝日新聞福島総局の入社4年目の記者の記事だ。事故の当時は高校生で、新聞も読んでいなかったのだろう。幼稚な事実誤認が満載である。
まず「『原発事故で死亡者は出ていない』と発言した政治家」とは高市早苗氏のことだろう。「原発事故の死亡者」というのは普通は放射線被曝による発癌率の増加のことだが、そういう死者は出ていない。国連科学委員会は、今後も出る可能性はないという報告書を出した。
「原発事故関連死」という意味なら、最大の加害者は朝日新聞である。放射線のリスクを誇大に報道した「プロメテウスの罠」などのキャンペーンで十数万人を避難させ、数千人の病死・自殺者を出した。
双葉病院で50人が死亡した原因は過剰避難だった
福島事故の死者のほとんどは、このような情報災害の被害者だった。その最大の被害が、この記事で書いている双葉病院事件である。その経緯を政府事故調の報告書から引用しておこう(pp.234~5)。
3月12日早朝の福島第一原発から半径 10km 圏内の住民等に対する避難指示を受け、大熊町所在の双葉病院においても、同日12時頃、避難用に手配された大型バス5台等に、自力歩行可能な患者等209名と、鈴木市郎双葉病院院長を除く全ての病院スタッフが乗り込み、同日14時頃、避難を開始したが、この時点で、双葉病院の患者約130名及び鈴木院長並びに同じく大熊町所在の双葉病院系列の介護老人保健施設ドーヴィル双葉の入所者98名及び同施設職員2名が残留した。
しかしながら、大熊町は、前記バス5台を双葉病院に向けて手配したことから、双葉病院における避難は完了したものと考え、その後、避難状況を確認するなどの特段の措置を取らなかった。
つまり大熊町が避難が完了したと誤認し、231人の患者が(院長以外に)医療スタッフのいない双葉病院に取り残されたことが、事件の最大の原因だった。その後も自衛隊は原発事故の対応に追われ、地元の高校が患者の受け入れを拒否するなどの事態が発生し、救助の遅れで最終的には50人の患者が死亡した。
これを「自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動ができず、約50人が衰弱して亡くなった」と書くのは、歴史の偽造である。双葉町の放射線レベルはそれほど高くなかったので自衛隊は活動できたが、連絡が混乱して救出が遅れたのだ。
根本的な問題は、民主党政権が指示した過剰避難だった。線量も不明な段階で「10km圏内避難指示」を出し、病院の入院患者の受け入れ体制もないまま長距離を避難させたおかげで、双葉病院以外でも多くの患者が、バスの中や搬送先で死亡した。
マスコミのあおったパニックが二次災害をもたらした
この記事では「町内に立地する東京電力福島第一原発が爆発して放射性物質が降り注ぐ中、救出活動は混乱した」と書いているが、水素爆発したのは建屋であって原子炉ではないので、「死の灰」による急性被曝は起こりえない。マイクロシーベルト程度の放射線で、急いで搬送する必要はなかった。
低線量被曝を防ぐには、入院患者はそのまま屋内退避すべきだった。医療施設のない避難所に搬送すると、かえって危険だ。当初もそう助言する専門家が多かったが、米NRCが「50マイル退避勧告」を出したこともあり、とにかく遠くに逃げるというパニックが発生した(この原因は誤った放射線データがNRCに伝わったことだった)。
これは事故直後の一時的な混乱だが、その後も民主党政権は放射線リスクを一貫して過大評価した。ICRP基準では緊急時には年間20ミリシーベルトまで許容されていたが、民主党政権は科学的根拠のない1ミリシーベルトを基準にして避難や除染を行ない、食品を規制したため、莫大な二次災害が発生した。この点は当時の環境相だった細野豪志氏も反省している。
その共犯が朝日新聞を初めとするマスコミである。この記事は3・11検証シリーズの第1回であり、新人記者の書いた幼稚な記事というだけではすまない。朝日新聞は今も事故の被害を針小棒大に報道して人々の心に恐怖を植えつけた犯罪行為をなんら反省せず、10年たっても恐怖を再生産しているのだ。
コロナでも、マスコミの「恐怖ビジネス」が繰り返されている。客観的事実が明らかになった今、検証しなければならないのは、民主党政権の責任だけではなく、パニックをあおって二次災害を拡大したマスコミの責任である。