かなり中国寄りの米中外交を指南する元豪首相の論文

高橋 克己

バイデン新政権に対する多くの日本人の関心事は、筆者のも含めて、経済問題という間接的に我国の安全保障に影響するその国内政策よりも、直接的に我が国の存亡を左右しかねない外交政策、なかんずく米新政権の共産中国に対する政策にあるのではなかろうか。

就任後3週間を経てようやく行われた10日の米中電話会談で、バイデンは「インド太平洋」を、それまでの「繫栄し安全な」ではなく「自由で開かれた」との形容に代えてその維持を述べた。香港や台湾に関しても住民弾圧や人権侵害への懸念を表明したという。

習の対応はといえば、前者では両国の対抗よりも尊重を強調し、後者でも中国の核心的利益を尊重するようこれまで通り求めたとされる。どうにも型通りの報道で、これらがどこまで事実なのか、あるいは本当はどんなことが話されたのか、実のところは藪の中だ。

今後の米中関係について、17日のニューズウィーク日本語版に「ラッド元豪首相の警告『習近平は毛沢東になりたがっており、しかもアメリカを甘く見ている』」と題した、ジョン・フェンなる対中関係専門と思しき方の2,800字ほどの記事が載っていた。

ケビン・マイケル・ラッド元豪首相  Wikipediaより

米外交誌フォーリン・アフェアーズに掲載された論文とあり、フェン氏の見解にも興味がないので同誌のサイトにアクセスしたところ、それは「Short of War  How to Keep U.S.-Chinese Confrontation From Ending in Calamity」と題された30,000字余りの大部だった。

AI翻訳の支援よろしく読み始めるが、表題の「Short of War」を「戦争の不足」と訳すようでは役に立たない。「戦争迫る」とか「戦争一歩手前」という意味か、などと思いつつ辞書と首っ引きで読んでみた。題の続きは「米中対決を不幸に終わらせない方法」とでもなろうか。

ラッド元豪首相の肩書は「アジア・ソサエティー政策研究所所長」(ニューヨーク)とある。同研究所の略称「ASPI」は、最近公表された共産中国の詳細な報告書などで知られる「Australian Strategic Policy Institute」のそれと同じ。ラッドも元豪首相でややこしいが、全く別の組織だ。

Kagenmi/iStock

論文の構成は、前書きの後に5つの小見出し、すなわち「北京の長期視野(Beijin’s Long View」、「習の目から見た米国(America Through Xi’s Eyes)」、「新しい管理の下で(Under New Managemant)」、「管理された戦略的競争(Managed Strategic Competition)」、「試合開始(Game On)」となる。

キーワードは「管理された戦略的競争」で、ラッドは「信頼するが、確かめる(trust but verify)」ことを相互に実践する新ルールを基礎にした双方の約束(stipulation)を含む「管理された戦略的な競争」の概念が必要だとする。それに至るまでの入り組んだ件(くだり)は次のようだ。

即ち、北京はワシントンやその同盟国と直接の紛争を起こすことなく、米国に対する世界経済の支配と地域の軍事的優位性の達成を目指し、それを達成するや徐々に行動を変化させて来た。そして漸次「多国間システムを中国の国益と価値により甘くなる(obliging)」ように画策した。

が、トランプがその「奇抜さと欠点(eccentricities and flaws)」にも拘らず、中国を戦略的競争相手とすることで「戦略的関与」を終了し、貿易戦争を始めてワシントンに戦う用意があることを明示したので、北京はそれまでの「国際秩序への段階的で平和的な移行」がやり難くなった。

バイデン政権も、国内での国家権力の基礎と海外での同盟を再構築し、中国と以前の「戦略的関与」に戻ることを拒否すると述べたので、両国にとっての問題は、戦争のリスクを軽減する合意されたパラメータの範囲内で戦略的競争を実施できるか否かだが、理論的には可能とラッドはする。

しかし米国の安全保障関係者の多くが、中国共産党が敵を欺くことに何のやましさもなく、外交で北京の優位を達成するための時間稼ぎをしていると考えているので、北京が彼らの支持を得るには「管理された戦略的な競争」が必要なのだと結論する。ここまでほぼ同感するが、この後が頂けない。

ラッドはこれの構築のため、ワシントンは「トランプの挑発的で不必要な高レベルの台北訪問を終わらせ『一つの中国』の方針に戻らなければならない」とし、北京は「台湾海峡での挑発的な軍事演習や展開をやめ」、また「南シナ海でこれ以上の島々の埋め立てや軍事化をしてはならず」、「航行の自由と航空機の移動を尊重」すべきというのだ。

米国の「台湾旅行法」を「挑発的で不必要」とし、「一つの中国」の方針に戻れという。また北京は南シナ海で「これ以上の島々(any more islands」の埋め立て・・をやめよ」ということは、すでに埋め立てた分は不問に付せ、とでもいうのか。こんな北京寄りの非対称な話はなかろう。

加えて、そうすれば米国とその同盟国は海上作戦を減らすことができ、中国と日本も時間の経過と共に相互の合意によって、東シナ海での軍事展開を削減することができる、ともいう。何たる戯言か、台湾や我が固有の領土「尖閣」を一方的に脅かしているのは中国ではないか。

ラッドは「双方がこれらの約束に同意できたなら、制限に違反しない限り他方がその利点を最大化しようとすることを受け入れる必要があり、・・ワシントンは民主主義・開放経済・人権を、北京は独裁主義的資本主義のアプローチと『中国発展モデル』」を強調すると述べる。が、中国のそれを国際社会が不公正な交易慣行と見做していることには触れない。

そして「管理された戦略的競争」へのアプローチに失敗した場合、「それは台湾を巡って現れる」とし、もし習が「合意を一方的に打ち破ることでワシントンのコケ脅し(bluff)を止めさせられる計算した場合、世界は苦痛の世界に陥り、世界秩序の未来を書き換えるだろう」と脅迫めく。

ラッドは最後に、中国には「メディアでめったに取り上げられない国内の脆弱性」が複数あり、米国も「常に全てが公開されるという弱点」を持つとし、「管理された戦略的競争」は「両大国の長所を強調し、短所を試した末に最良の体制が勝利する」と締め括る。

さすがエキスパートだけに、ラッドの「管理された戦略的競争」に至るまでの現状認識は実に的を射ているし、「結局は最良の体制が勝利する」との結論も穏当で、つい焦点がぼけてしまう。が、詰まるところ「ワシントンは中国に妥協せよ」と述べていると筆者には読める。

トランプの強硬な対中政策が、北京をしてそれまでの「国際秩序への段階的で平和的な移行」がやり難くなったとしつつ、トランプを「奇抜で欠点がある」というのも、「政治は結果」と知る元政治家らしからぬ言い草で、むしろバイデンが「言うだけ」に終わらぬよう筆者は祈る。

ニューズウィークの記事を鵜呑みにせず、原典を苦心して読んだ甲斐があった。ラッド氏は立派な経歴の方だし、ニューヨークのASPIも権威があるようだ。フォーリン・アフェアーズも歴とした外交誌だが、それらに惑わされず、自らの目で確かめることの大切さを再認識した次第。