「怒り」の暴発を如何に抑えるか

①ウィ―ン市メトロ新聞「ホイテ」(22日付)の1面に「コロナ感染者が同居人の女性に向かって咳を」という見出しが目に入った。オーストリア第2の都市リンツ市に住む63歳の男性が同居人の女性(70)に対し、意図的に何度も咳をしたという(エアロゾル)。その結果、女性も感染したというのだ。幸い、女性は軽度の感染だったが、男性は故意の外的傷害罪などで訴えられた。

②オーストリアの民間放送OE24TV放送で、コロナ規制に抗議するデモ集会の状況をライブで中継していた女性レポーターにデモ参加者の1人が唾を吐きかけるシーンが写っていた。極言すれば、一種の殺人行為だ。女性レポーターが空気・飛沫感染し、コロナ感染し、重症になれば文字通り唾を吐いたデモ参加者は重罪犯罪として訴えられる。

③ウィーン市で昨年11月26日、50歳ぐらいの女性が停留所にいたユダヤ教のラビのキッパ(被り物)を払い落して「全てのユダヤ人を虐殺せよ」と叫んで逃げていったという事件が起きた。女性がどうして突然、ユダヤ人に対し暴言を吐いたのかは不明だが、その暴言には怒りが込められていたことは間違いない。ユダヤ人に対して、というより自身の中に沸き上がる怒りのエネルギーがたまたま停留所にいたユダヤ人に向かって暴発したというのが正しいかもしれない。

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上記の3件は、いずれも新型コロナウイルスが猛威を振るっている時に生じた出来事だ。些細な出来事かもしれないが、そこには鬱屈した怒りの暴発という現象が見られる。③の場合、反ユダヤ主義者の言動といえるが、長期化するコロナ禍で多くの人には無力感と怒りが蓄積している。そのエネルギーを吐き出す対象、敵を探し、そこに向かって怒りが爆発するわけだ。新型コロナ感染の場合、アジア・フォビア(アジア人嫌悪現象)となって表れることがある。

例えば、フランスのパリで今月10日、在留邦人が強酸性の液体をかけられるという事件が発生している。在フランス日本国大使館によると同日夕方、パリ17区を邦人被害者が友人3人といたところ、フードをかぶり下を向いて歩いてきた3人組(男女の別不明)からいきなり顔に向けて液体をかけられた。幸い、液体は顔にはかからず、手の火傷で終わった。フランスでは「アジア人狩り」と呼ばれるアジア・フォビアが頻繁に生じている。

スイスのチューリッヒ大学心理学教授のベレナ・カスト氏は、「死ぬのは常に他者で我々ではないと考えてきた。その死が我々の近くにきていることに気が付いてきたわけだ。我々は全てのことをコントロールしていると思ってきたが、それが突然激変し、集団的不安の中に陥っている」という。同教授によれば、怒りは「無力と侮辱から生じてくるものだ。我々は常に無力だったが、今回はそれを集団的に体験しているのだ」という。

無力観に陥ると、腹が立つし、怒りが湧いてくるから、そこから逃れるために誰がその感情を生み出した“犯罪者探し”が始まる。不安は無力感を高めエネルギーを失うが、怒りはある意味で強いエネルギーの感情だから、無力感から逃れることができるわけだ。

コロナ規制に抗議するデモ集会が欧州各地で広がっているが、コロナ規制を実施する政府関係者がコロナ・カオスの責任者ではない。デモ参加者もそんなことを知っているが、高まる怒りを吐き出すための対象がどうしても必要となるから、コロナ規制に抗議するデモ集会は反政府集会の様相を深めていくわけだ。

カスト教授はオーストリア放送とのインタビューの中で、「人は必要なものを得ることに慣れてきたが、失うことには慣れてこなかった。しかし、コロナ禍で失うことへの不安がリアルとなってきた。自身の存在へのリアルな危機感だ。そのため憂鬱に陥る人も出てくる」と分析している。

コロナ感染防止の特別措置が長期化することによって、“コロナ疲れ”が人々の間で見えはじめた。精神的疾患に悩む若い世代も出てきた。人は不安になると、精神的に動揺する一方、銃を購入して自衛手段に乗り出す人々も出てくる。不安は人を攻撃的にさせる。実際、コロナ禍で銃を購入するケースが増えている(「『不安』は人を銃に走らせるか」2021年1月7日参考)。

ところで、コロナ禍で生じた怒りや不安はワクチンの接種で解消するだろうか。それとも新たな問題に直面し、怒りと不安が生まれてくるだろうか。コロナ禍はいつか過ぎ去るかもしれないが、怒りと不安は人間の中から常に湧き出てくるとすれば、人は不安だけではなく、怒りという感情をコントロールする術を学ばなければならないわけだ。

エジプトの奴隷生活からイスラエル人を解放したモーセは旧約聖書の世界では英雄だが、激しい気性の人間であった。神から与えられた十戒の石板をイスラエル人の無法な行為に激怒して破壊した。その怒りは理解できるが、モーセにとって大きな代価を払う結果となった。

日本の代表的将棋棋士,羽生善治は「勝負に一番影響するのは『怒』の感情だ」と述べている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年2月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。