森喜朗さんの「女性差別」発言は、いろいろな受け取り方はあるけれど、「女性差別」と受け取った人がいるということは理解できます。けれど、問題が「女性差別」だけにフォーカスされてしまい、より根深い問題がかすんでしまったように思います。
では、その後釜の橋本聖子さんは女性なので問題ないのかというと、問題が大ありなのです。過去のセクハラ問題は周知の通りです。森さんも橋本さんも同じ穴のムジナに見えます。
このままでは「女性差別」が繰り返されてしまう
なぜ森さんはあんな発言をするのか、なぜ橋本さんはセクハラをしてしまうのか。それは「体育会系」という問題です。
相撲協会の暴力、柔道連盟の体罰や日大アメフトタックル問題など枚挙にいとまがありません。役所も企業も同じ。
ようは、内輪の結束は鉄のように硬いので、なんでもありになっているのが日本の組織の病理なのです。それがたまたま外部に露見すると、あまりに非常識なので、猛バッシングになります。
女性のみならず、多くの男性も「森的なもの」「橋本的なもの」の盛大な被害者なわけなのです。それをすべての女性対すべての男性にすり替えてしまったのが、今回の騒動だったのだと思います。
日本社会の「体育会系」的なものを考える
たしかに、「女性差別」なのは問題です。けれども、この「体育会系」の土壌の上に、セクハラなどの性差別が乗っかっているように思えてなりません。
それをうわべだけ消そうとすると、とりあえず女性は数合わせで、それも配慮ができる人という基準で選ばれ続け、優秀なのに女性という理由で採用や抜擢を避けられるという変わらぬ負のスパイラルが続く気がします。
「体育会系」という、上位下達で清濁併せ呑んだ人を「大人」とする社会がアカンわけです。
だから、身内ではバカ受け(のように見える)の「女性差別」ネタの発言がつい公の場で出てしまい、大炎上となるということでしょう。
相撲界・柔道界の暴力指導や日大アメフトタックル事件のように、客観的に見たら絶対的にアウトの事件なのに、ムラの中では揺るぎない正義になっています。
この「体育会系」エートスを問題視しない限り、こういった問題は蒸し返されるでしょう。
「体育会系」の成功体験が地獄に
「体育会系」の若手は組織においてとても使い勝手が良いので、その誘惑を断ち切るのは難しいと思います。でも、「体育会系」のびぼうさくが、停滞の30年を生んだのはまちがいありません。
内輪なら「女性差別」も「男性差別」も違法行為も暴力すらも許される。この内輪ならなんでもやっていいの上に、セクハラ、パワハラ、女性差別、違法行為等々が積み上がっています。
善良な男女で対立している場合ではありません。