昨年12月17日、スペインのサンチェス首相と主要閣僚はモロッコを訪問した。モロッコ政府の首相以下閣僚と二国間の閣僚会議をする予定になっていた。
2003年のアズナールが首相の時から始まり、サパテロが2007年、ラホイが2012年と両首相が主導してそれぞれ2国間の閣僚が集まっての会談は恒例となっていた。
ところが、トランプ前大統領が昨年12月10日、モロッコが主張している西サハラ領有権を認める決定を下した。それが影響したのか否か、その数時間後に、スペインとモロッコの二国間の閣僚会談の中止が発表された。
西サハラはかつてスペイン領であった。一方、モロッコのハサン2世(ムハンマド現国王の父親)は西サハラの支配を望んでいた。当時の米国はハサン2世とまたスペインのフランコ将軍とも良好な関係を維持していた。
しかし、米国は地政学的にモロッコが西サハラを支配することを望んでいた。米国はスペインがそこから手を引くよう圧力をかけたとされている。隣国のアルジェリアが旧ソ連を関係を深めていたからである。
ハサン2世は米国の支援もあって1975年11月、西サハラに侵入した。その為にモロッコ市民を利用して彼らが前面に立って西サハラへの侵攻のための行進を開始した。
当時のスペイン国境警備隊は非武装のモロッコ市民を負傷させることを避けるために発砲することなく撤退を開始した。当時、フランコ将軍が病床にありモロッコとの紛争を起こす情勢にはなかった。そこでスペインはモロッコが西サハラに侵入したあとの同月マドリード協定を結びモロッコとモーリタニアが西サハラの領土を分割することで合意した。その後、モーリタニアは分割された領土を放棄して西サハラはモロッコの統治下に入った。この時点で1844年から続いた西サハラのスペイン統治は一部の利権を残しながらも終幕を迎えた。
一方、西サハラの住民はモロッコのライバルであるアルジェリアとリビアからの支援をもとにサハラ・アラブ民主共和国の設立を主張して独立のために戦うポリサリオ戦線を創設していた。
その後、国際連合の仲介で1991年にモロッコとポリサリオ戦線との間で停戦が成立した。モロッコに帰属か独立かということを決めるために住民投票を実施することで合意した。その為に、国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)が創設された。しかし、20年余り経過して現在に至るまで住民投票は実施されておらず、モロッコの実行支配が続いている。モロッコは西サハラの住民を尊重して自治体制にすることを提案しているが、これまでその為の合意には至っていない。
そのような状態にある中で、トランプ前大統領がモロッコが主張する西サハラの領有権を認めたのである。
米国が今回の決定を下すという情報はスペインのアランチャ・ゴンサレス・ラヤ外相は既に掴んでいたという。それはスペイン現政府にとっては都合の悪い決定である。というのは、スペイン政府は、スペインが1975年11月に西サハラから撤退する前に、西サハラの住民に対し住民投票の実施を約束していたからだ。
それによって、モロッコに帰属するのか独立するのかということを決めるべきだとしていた。それが今もスペイン政府の公式の見解である。但し、社会労働党のサパテロ元首相が政権を担っていた時は、モロッコの領有権を認める姿勢を表明したように都合主義に合わせている。
ところが、現在社会労働党と連立政権を構成しているポデーモスはポリサリオ戦線を支持している。公正で公平な住民投票を早急に実施して、住民が自由な立場から将来の西サハラの行方を決定すべきだと主張している。実際、ポデーモスはポリサリオ戦線の幹部との接触もある。
しかも、ポデーモスの党首で第2副首相のパブロ・イグレシアス氏はツイートで住民投票の必要性を強調し、スペイン政府は住民投票の実施を強く主張するべきだとサンチェス首相に要求したのである。
ポリサリオ戦線を支援するパブロ・イグレシアス第2副首相の姿勢に立腹したモロッコ政府はムハンマド6世が健康上の理由からサンチェス首相他主要閣僚との会談を行わないと発表したのである。
それに対してスペイン政府はこの閣僚会議にパブロ・イグレシアスを出席させないことを決定した。そうすることによって、ムハンマド6世との会談も可能にしようとした。
ところが、今回の両国の会談を調整していたラバトのスペイン大使館で領事のフェルナンド・ビリャロンガ氏が突如その任務を解任されたのである。それに憤慨した同氏は「スペインは外交を放棄して対キューバと対ベネズエラとの外交だけに縮小されてしまっている。スペイン外交は国際的に重みをなくした。なぜなら政府内の2政党の間で調整に明け暮れてしまっているからだ」と述べて連立政権への批判を表明したのである。それを電子紙『エス・ディアリオ』(12月11日付)が明らかにした。
ということで、二国間の閣僚会談は2月まで延期となった。仮に、会談が持たれていれば、米国がモロッコの主権を認めたということで、スペイン政府も明確な姿勢を表明せねばならない立場に追い込まれたかもしれない。その意味では、今回の会談の延期はスペイン政府にとって逆に都合の良い延期かもしれない。今のポデーモスとの連立政権ではスペイン政府の西サハラについての姿勢は明確にできないからである。
かつて、西サハラはスペインが統治していたという事実を後目に、トランプ前大統領はムハンマド6世に対しイスラエルとの国交正常化を迫り、その代わりに30億ドルの投資を約束するという積極的外交を展開した。それはスペイン電子紙『エル・エスパニョル』(12月13日付)が明らかにしている。
更に同紙は以下のことを説明している。モロッコ国内ではイスラエルとの国交正常化に反対する意見は強いが、地政学的にはモロッコは今回の合意でメリットが多々ある。
西サハラはリン酸塩、原油、ガス、ウラニウム、銅などの地下資源に恵まれており、また豊富な漁場地域でもある。更に、風力発電や太陽光発電の開発も可能である。実際、すでに米国企業が西サハラの都市ダフラで1万1000ヘクタールの敷地に風力発電の建設を予定している。それによって400人のエンジニアの雇用が見込まれている。
そして、それらの開発に伴ってホテル、銀行、再生エネルギー企業の更なる進出も見込まれている。これらの投資総額がトランプ前大統領がムハンマド6世に言及した30億ドルの投資となるのである。
またイスラエルからは砂漠地帯における灌漑システムの開発の指導も受けることができる。この分野のイスラエルの技術は世界でトップレベルにある。
同様にイスラエルを味方につけることによって、これまで以上に米国との関係を強化できるし、また米国からの最新兵器の購入も容易になる。モロッコは米国の独立を最初に承認した国で、それは1777年のことであった。また米国がイランに軍事侵入した時もモロッコは米国軍を支援すべく軍隊を派遣した。
また、西サハラがアルカイダに支配される危険性を米国議会で説得するためにロビーストに340万ドルを投入して西サハラのモロッコへの帰属の説得に努め民主党と共和党の議員137人から署名をもらった、ということが電子紙『ディアリオ・エス』(12月12日付)にて明らかにされている。
ということで、米国はイスラエルからの支援がなくても米国との関係には強い絆を持っている。しかし、それにイスラエルがモロッコの味方に付いてくれれば米国との関係はより強力となるのは確実である。
しかし、モロッコにとってイスラエルとの国交正常化は飽くまで外交上の手続きのことであって、すでにモロッコには3000人余りのユダヤ人が在住している。そして毎年イスラエルから5万人余りの訪問者を受け入れているというのを電子紙『エル・コンフィデンシアル』(12月11日付)が明らかにしている。
さらに、イスラエルの諜報機関モサドがハサン2世にとって危険な人物ベン・バルカをパリで暗殺しているように、両国の関係は諜報分野においても関係を結んでいたということが前述の『ディアリオ・エス』が説明している。
このようなムハンマド6世による強権的な外交の前に、スペインの連立政権内で、対モロッコ外交において見解に違いがあるようでは、スペイン外交がくすんで行くばかりである。
これは対モロッコに限らず、スペインはラテンアメリカにおいても母国的存在であるという特権を生かせていない。そのため、スペイン外交は大きく後退している。
唯一、スペイン外交がラテンアメリカで活躍したのは14年間政権を維持したフェリペ・ゴンサレスの政権時だけである。