※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)
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6月あたりに、私は姉の乙女からひどいお叱りの手紙をもらった。武市半平太の仇ともいえる後藤象二郎と組んだり、海援隊で商売をしているのが気にくわないらしいのだ。
その一方、乙女は私が大仕事をしているのに刺激されてか、自分も出国して一肌脱ぎたいと言い出した。
そこで、6月24日に乙女に手紙を書いた。
「私が利をむさぼり天下国家のことを忘れてるのでないかと」姉上は思われているようです。また、後藤のような姦物役人にだまされているようにおっしゃっているようです。だが、天下国家のことをやっているといっても土佐の国より一銭一文の助けも受けず、50人も養うには一人に年60両はいるので、利を求めねばならないのです。私はこれまで女性が二夫に仕えずというのと同じ気持ちでほかの国には仕えないようにし、いまこそ土佐を助けたいと思っているのです。」
「幸い公式にもこれまでのことはお構いなしと言うことになりましたから、日々、天下のことを議論しています。土佐から来ている人には後藤象二郎、福岡孝悌、佐佐木高之、毛利荒次郎、私と似た立場の石川清之助(中岡慎太郎)、望月清平などがいます。なかでも後藤は本当の同志で、魂も志も他には類を見ない人物であり、他の人とは少し上の人です」。
この手紙では、ほかにもいろいろな問題を書いた。姪の春猪のところに婿養子に入った清二郎が出奔して龍馬のところにやってきたのだが、何の考えもなく議論するに耐えられない男だと怒った。「大坂の土佐屋敷の役人を関白になったかのような上から目線でどうにもならぬ」と後藤に告げたところ、「あのような連中を使わなければならない私の立場も察してください」といわれたことも書いた。
乙女の出家計画をおちょくりながらたしなめ、ピストルが欲しいという希望には、そんな危ないものを持ったら誰かに悪用されかねないのでやめるべきだ。そもそも、このところ、政治を安易な気持ちで議論する輩が多いのは困ったものだ。高知の小高坂村あたりでは、若い娘たちまでもが勤皇だとか天下だとかいって騒ぎ、暗闇でそんなことを論じるといって女郎のようなことをする者もいると聞くが嘆かわしいことだ。
お龍にも私をいたわってくれることが天下や国家のためになるのであって、自分でそんなことを論じることなどいらないといいきかせているので、お龍も苦手な家事に精を出しているのだ。もちろん、その暇には本を読むようにいい、ピストルも撃てるように練習させているなどと書いた。
ついでに、春猪が簪をねだってきていたので、夫が私のところに出奔して天下のために働いているのだから、小遣いでもやってくれと言うのが先だろうと諭すように乙女にいった。これまで、春猪には高価なフランス製のおしろいや香水など送って甘やかしてきた私がそんなことをいえたものでもないが、乙女にばかりきついことをいえないので、おまけに付け加えておいた。
このあたり、現代の女性が見たら、女性蔑視だといって怒り出しそうだが、当時の社会とか、乙女のはやる気持ちをおさえるためということでご理解いただきたい。しかし、令和の世の中でのことなど聞くと私なんぞ、セクハラ、パワハラなどなんでも叩かれて公職など就けないだろうと思う。
そして、いろいろ落ち着いて帰国したら、後藤などとも相談して乙女のことも考えてやると慰めた。これよりもう少し後の手紙では、いずれ、清二郎など離縁させたい心づもりも書いたのだが、私なりに、土佐へ帰ったあとの坂本家の行く末を考えるようになっていたのである。
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