欧州に住んで40年:現代の浦島太郎が見たコロナ禍社会

当方は欧州に住んで既に40年以上過ぎた。欧州を訪ねてきた日本人と話す時、自分が日本の社会をもはや理解できなくなっているのではないか、といった不安と恐れさえ感じてきた。10年前ごろ、日本に戻った時、地下鉄の切符の買い方が分からずに困った。

そこで当方は最近、YouTubeの日本の動画を定期的に観ている。当方が気に入っているロシア人のYouTuberは何もしゃべらず日本の都市風景を淡々と撮影している。それを見ながら、21世紀の日本人社会の様子を垣間見る。ただし日本人が今、抱えている様々な苦しみや課題については、推測するだけに過ぎない。

自分は日本人でありながら、日本人の心を理解できなくなった人間、と自嘲気味に感じている。

コロナ禍で寂しいウィ―ン市内の公園風景(2021年2月14日、ウィーンで撮影)

今年2月で欧州に新型コロナ感染が見つかって1年を迎えたことから、欧州のメディアではこの1年間を振り返る特集が報じられている。その中で独週刊誌シュピーゲルでJochen Martin Gutsch記者が大変興味深いエッセイを掲載していた。何らかの理由でコマ(昏睡状態)となって集中治療室で1年間、眠っていた人間が目を覚まして、コロナ禍で苦闘する社会を見て驚く、といった一種のSF的なエッセイだ。

ここではコマから目を覚ました人間をA君と呼ぶ。そのA君は1年間のコマから目を覚まして病室の窓から外を見る。路上を歩く人々はマスクをしている。何が起きたのだろうか。テレビ、ラジオを聞いても、ソーシャルディスタンスをキープし、2mの距離を置くようにと呼び掛けている。

スーパーに行けば、若者たちが「変異種が既にドイツにきている」という話をしているではないか。その変異種は英国や南アフリカから到来したという。戦争でも起きたのか。新聞を読むと、「子供の誕生日パーティを解散させるために警察隊が出動した」というではないか。現代のコロナ規制下の欧州社会の状況を目撃して、1年間コマにあったA君は驚く。自分が眠っていた間に世の中が激変していたからだ。

「ベルリンの壁」が崩壊し、分断されていた東西ドイツが一つとなり、旧東独国民が旧西独ベルリンに自由に行き来する様子をコマから覚めた患者が見たなら、やはり同じような衝撃を受けたかもしれない、と記者が語る。

欧州人はマスクの着用には抵抗が強かった。だから、マスクを着用して地下鉄に乗ったり、ショッピングモールを歩くことは嫌いだ。しかし、コロナ感染の拡大に伴い、マスクは欧州社会では既に市民権を獲得してきた。誰もマスク姿の人を見て振り返ることはしない。マスクなしで買物する人を見たら、警戒し、その人の近くにいかないようにするほどだ。

マスクはアジア人が着用するものと考えてきた欧州人の社会は過去1年で大きく変わったわけだ。コマで病床にあったA君が見た社会はコマになる前の社会ではなかった。A君は現代の浦島太郎といえるわけだ。

コマにならず、感染もせずに生きてきた人々は自分たちが過去1年間でどのように変わったかを客観的に理解することが難しいかもしれない。オーストリアのクルツ首相が記者会見で「どうか可能な限り人と会わないでください」とアピールした時、当方は正直いってショックを受けた。

「人と会うな」というアピールはその台詞の可笑しさだけではなく、その内容が革命的なアピールのように響いたからだ。人と会っても握手せず、好きな人に会ってもハグもしない若者たちの姿はコロナ禍前では考えられなかった。休日には家族や友人と会うのが楽しみなオーストリア国民に対し、「人と会うな」というのは文字通り革命的ではないか。

当方はYouTubeで日本の都市風景を見た時、「日本はコロナ禍でも通常の生活をしているようだ」という印象を受けた。人々はマスクをしながら歩き、買物している。コロナ禍で営業時間の短縮などの変化はあるが、社会全体の情景は大きく変わっていない。

日本人は欧州人のように握手や抱擁はしない。マスクの着用はある意味でルーティンだ。コロナ禍で変わったのはイベント開催やレストランの営業時間などの短縮だけではないか。その点、欧州社会はコロナ禍で外的な生活スタイルまで激変した。

誤解しないでほしい。欧州社会が日本社会よりコロナ禍で苦しんでいる、というつもりはない。日本に住んでいれば、やはりコロナ禍で多くの変化と苦しみを味わっている人がいるだろう。あくまでも外的な生活スタイルからの印象だ。

ワクチンの接種が開始されたこともあって、欧州の人々もポスト・コロナについて少しは現実的に考える余裕が出てきた。気の早い人は夏季休暇の過ごし方を計画しているが、コロナウイルスの変異種の拡散で今年の夏をどのように過ごせるかはまだ不明だ。

人々は激変した社会から別れを告げて、1年前の日常生活のスタイルに戻れるだろうか。それともコロナ禍が心的外傷後ストレス障害(PTSD)のように欧州人の心の世界に棲みつき、欧州人を苦しめるだろうか。コマから目を覚ましたA君は現代の浦島太郎として「コロナ禍と欧州社会」というテーマで時代の証言者となれるだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年2月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。