コロナの教訓

以下、ラジオのコマーシャル。「マラソンで例えるなら最後の部分に差し掛かっています。だけど、そこが一番苦しい。我々が闘うコロナも秋にはワクチンが一般の人にもできるようになり、ゴールが見えてきてます。今一つの我慢を。BC州政府広報でした」。しゃれている内容だと思います。最後の苦しいところ、ここをみんな、我慢してね、というわけです。

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ワクチン接種は各国で進みます。また人々の行動制限の結果、感染者数は確かにググっと減ってきています。カナダは1月8日の9200人のピークから現在は3000人程度、アメリカも1月8日が30万人超のピークだったのが、7万人水準に、英国も1月8日がピークで6.8万人が今は1万人、ワクチン接種が進むイスラエルが1月11日の9700人から3000人などとなっています。(なぜか多くの国で1月8日前後がピークだったのです。理由が知りたいですね。)

また日本も見方はいろいろありますが、数字の上ではやはり1月9日のピークである7700人から1000人程度まで下がっており当面のピークアウトを過ぎて回復期に入っているとみてよいのでしょう。緊急事態宣言が続くにしろ、解除されるにしろ、ここで気を緩めるのではなく、病み上がりのリハビリテーションのようにそろりそろりと門戸を開けていくべきだろうと思います。特に日本の場合はオリンピック開催を前提とするならば国内感染者が十分に収まり、コントローラブルになることが最前提になりますからここは気をつけるべきで、マスコミが単調に捉える感染者数の数字だけが独り歩きさせるのではなく、感染予防の本質をとらえるべきでしょう。

人口比で誤差範囲を含め、どこまで収まればコントロール可能なのか、季節要因がどれぐらいあるのかも含め恐怖心を煽り過ぎず、もう少し明確な指針が欲しいところです。インフルエンザが流行った年でもこんな騒ぎ方をしたことはないのです。

さて、コロナ克服がさほど遠い先ではないと仮定した場合、1年以上にわたり不自由を余儀なくさせられた我々の生活はどのような変化を示すのでしょうか?世界中の多くの専門家や識者は「元には戻らない」と主張する意見が多いかと思います。しかし、本当に元に戻らないのか、すっかり社会の基準が変わるのでしょうか?

コロナ後の社会はまず、感染予防が人々の日々の意識に強力に浸透するとみています。病院や高齢者施設などではマスク着用が義務化されるかもしれません。消毒剤が巷にあふれ、携帯用の消毒剤も普及し、きれい好きの日本人の必需となりそうです。店舗、飲食店、サービス業では椅子や人々が手に触れるところを拭く行動も習慣化されそうです。しかし、あまりやりすぎると人間の菌に対する抗体が弱まるので過敏になるのは逆効果かもしれません。

では経済行動はどう変わるでしょうか?コロナの衝撃の受け方は個人差があり、千差万別です。ただ、一般的には女性と高齢者はよりセンシティブだとみています。とすれば例えば今まで高齢者が主導していた高額消費の行動が外食から内食となり、より自宅で高級食材などを楽しんだり、お菓子作りなど自作傾向が強まるとみています。

オンラインの仕事はどうでしょうか?たとえば週2回はオンラインで自宅勤務といったことがないとは言いませんがそのような職種は限られます。工事現場も宅配も警察や消防もオンラインでは対応できないのです。感覚的には8割が元に戻るけれどオンラインで業務を続けられるところが業務効率改善の一環で一部変わっていき、今後長期にわたって少しずつ変化の進化を遂げるのだろうと思います。

但し、今迄の無駄な出張や会議は見直され、オンラインでできる会議はかなり増えそうです。つまり、業務の中でオンラインを介した作業を取り入れることに成功し、その利用率は飛躍的に増大すると思います。人が実際に出張することは減り、企業の接待、会食も減るかもしれないでしょう。いわゆる接待の時代じゃないのです。

最後に社会は今回の惨状に対してどのような反省をするか、です。非常に大胆に言えば反省はすぐ忘れるとみています。何故ならワクチンができるまでは人々が感染予防に対して試行錯誤をしたものの今後は薬に頼れるという安心感ができるからです。

コロナ後の社会ではコロナの教訓が人々のマインドに数年間は残るものの徐々にその苦しさを忘れるのでしょう。大言壮語が身につかないことは誰でもわかっていることです。ただ、社会や企業活動にはこの経験を踏まえて新しいビジネスや社会の取り組みにチャレンジしたわけでそれが何らかの形で有効活用されていくと予想しています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年2月28日の記事より転載させていただきました。