菅息子のルックス批判、クラブや薬物への偏見を許すな ビートたけしは発言を撤回せよ

たたかう市民諸君。私は重大な決意のもと、訴える。Twitterを開いたところ、看過できない発言を目にしてしまった。Twitterのトレンドに「菅首相長男の写真」が入っていたのだ。ビートたけしが、菅息子について「クラブで麻薬で捕まったやつかと思った」と発言したのだ。断じて許してはならない発言である。一応、「またそういうことを言ったらダメなのか」とコメントしたそうなのだが。

たけし 菅首相長男の写真に「クラブで麻薬で捕まったやつかと思った」(東スポ)

ただ、ビートたけしの発言の前から、ネット上では菅息子の写真に関して「ちゃらちゃらして」「親の七光りで」という発言が散見された。ただ、このルックス批判は容認していいものなのか。

言わなくてもわかると思うが、立場を明らかにしておくと、左翼であり、反自民、反菅である。いままた寒風吹きすさぶ路頭に数多の労働者が投げだされている。労働者・学生が貧窮のどん底に突き落とされつづけている。「自助、共助、公序」などと言いつつ、自分はどうなのかと言いたくなる。

幼い頃はビートたけし、たけし軍団が大好きだった。自分こそがひょうきん族だと思っていた。「たけしの挑戦状」では人生の挫折も味わった。今朝もHomePodで久石譲が作曲した、北野武監督作品の曲を聴いたりもした。そのビートたけしを批判するのは、忘恩的だと思いつつも、微力ではあっても無力ではないと確信し、勇躍決起した次第である。

菅長男がしたことについては、何が問題なのかを切り分けなくてはならない。あくまで問題は接待などであって、ルックスについて問題にするのはいかがなものか。全国紙やウェブメディアでも、たとえば学校における地毛証明書や、正式には明日から解禁される就活でのリクルートスーツや黒髪の画一性や、ビジネスパーソンの服装などが問題として紹介される。何かと多様性が叫ばれる時代である。見た目だけで批判するのは筋違いである。男女ともに見た目に関する話は問題となる、今の社会ともズレている。いや、この件は人がずっと苦しみ続けてきたことなのだ。

なお、菅息子くらいのルックスは、ビートたけしが出入りしているテレビ局にも普通にいるだろう。広告代理店、出版社、IT企業に普通にいるし、総合商社にすらたまにいる。ビートたけしの感覚こそズレている。

クラブ、薬物への偏見も論外だ。ビートたけしのクラブに関する視点は、あたかも、70年代、80年代の「ゲームセンターは不良のたまり場」というレッテルはりとなんら変わりがない。たしかに、クラブでの薬物問題が起こっていたことは事実だが、音楽を中心としたカルチャーの発信基地としての機能を果たしている。クラブ=薬物で逮捕というのは、偏見そのものである。ただでさえ、コロナ禍で苦しんでいる音楽シーンにとどめをさすような一言ではないか。

音楽が聴けなくなる日 (集英社新書)
かがり はるき
集英社
2020-05-15


薬物に関する偏見も論外だ。薬物依存の問題は根深いが、これを単純に悪と決めつけるのも間違っている。どうして、人は薬物に依存してしまうのか、なぜ薬物が広がるのか、どのように社会復帰を助けるかという視点が議論されており、報道や人々の受け止め方も変化してきている。たとえば、この本を読んで勉強して欲しい。


自由な服装、髪型については、ハフポストのこのインタビューを参照して頂きたい。

2021-02-27 16.12.37

昨日も、ヘアサロンで3時間。カラーとカットをした。ハイライトをいれまくり、ピンクとバイオレットのカラーを入れた。髪は自己主張なのである。別にだらしなくしているわけでもなく。人と違う格好をすることは、まだまだ勇気がいることなのだ。ハイライトを入れ、カラーをしているときの時間、薬剤が染み込む感じを通じて、魂が戦闘的に高揚し。何か強くなれているような気がした。

というわけで、ルックス批判、クラブ、薬物への偏見を許してはならない。ビートたけしも変われるはずだ。 「バカヤロー、まだ始まっちゃいねーよ!」なのだ。

ビートたけしという大御所の発言に、しかも自分自身反菅というスタンスからも悩みに悩んだが、萎靡沈滞を突き破り、断固たる反撃の巨弾をぶち込む決意を打ち固めた。本主張の画期的地平にふまえさらなる闘いの前進を切り拓け。偏見に対して満腔の怒りをこめて、大衆的反逆の火柱を打ち上げよ。